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ラヴェルを聴く A Listen to Ravel’s Works
1995年 執筆
目次 Contents
§1.初期の作品 
 古風なるメヌエット / 耳で聴く風景 / クレマン・マロの風刺詩 / 逝ける王女のためのパヴァーヌ
§2.前期の作品 
 水の戯れ / 弦楽四重奏曲 ヘ長調 / 歌曲《シェエラザード》/ ソナチネ / 鏡 / 博物誌 / ハバネラ形式のヴォカリーズ
§3.中期の作品 
 スペイン狂詩曲 / マ・メール・ロワ / 夜のガスパール / 民謡集 / 高雅で感傷的なワルツ / ダフニスとクロエ / ステファヌ・マラルメの3つの詩 / ピアノ三重奏曲 イ短調
§4.後期の作品 
 クープランの墓 / ラ・ヴァルス / ツィガーヌ / マダガスカル島民の歌 / ヴァイオリン・ソナタ ト長調
§5.晩年の作品 
 ボレロ / 左手のためのピアノ協奏曲 / ピアノ協奏曲 ト長調 / ドゥルシネア姫に想いを寄せるドン・キホーテ
 
§0.はじめに
 仮に「最も尊敬する作曲家は誰か」と問われたなならば, 私は躊躇することなくラヴェルの名を挙げるであろう. この問に対するこの答は, 高校生時代に彼の音楽と出会って以来, まったく変わっていない. 作曲に行きづまりを感じたとき, 私は音楽の源泉を汲むような心境をもって彼の音楽を聴く. 彼の音楽は, 私にとってはかり知れぬ魅力を秘めた楽想の宝庫であると言ってよい. 聴くたびに, 新たな発見と作曲への意欲とを与えられるのである. 彼の音楽は, おそらく生涯にわたって私の心を惹きつけてやまないであろう. 本稿は, 彼の生涯と作品を紹介するという体裁をとった, 私の個人的なラヴェル礼讃である.
 
 ラヴェルの作品群は, その作風に鑑みて, 前半期 (1893-1915年) と後半期 (1917-1933年) の2つの時期に分類できよう. 大雑把にとらえれば,
前半期は印象主義的な作風, 後半期は新古典主義的な作風であると言えようか. 別の言葉で形容すれば, 前者は華麗なる装飾品, 後者は質素なる骨董品と言えよう. もちろん, 両者に共通する特徴も少なくない. 精緻な構成, 高雅な楽想, 洗練された斬新な不協和音, さらには, 異国趣味, 擬古趣味, 怪奇と幻想, おとぎの世界, ジャズ, 編曲, 制限と模倣など……. 作品におけるこれらの特徴は, とりもなおさず彼自身の人物を語る特徴にほかならない.
 
 本稿では, 作品を年代順に追いながら人物像について概観するという方法でラヴェルの作品と生涯を綴っていきたい. ただし, 採りあげた作品は,『モリス・ラヴェル~その生涯と作品』(文献 [4]) の巻末に掲載されているものの中で, 私自身が聴く機会を得られたものに限っている.

 

 
§1.初期の作品 Initial Works 1893-1899
 近代フランスを代表する作曲家モリス・ラヴェル (Maurice Ravel, 1875-1937) は, 1875年3月7日, スペイン国境付近に位置するシブール (Ciboure) という町で生まれた.
 
 父親のジョゼフ・ラヴェル (Joseph Ravel, 1892-1908) は, スイスに生まれ,「石油で稼働する蒸気機関」や「二行程による過給エンジン」の発明者として知られる技師であった. 彼は音楽にも造詣が深く, モリスと弟のエドゥアール (Édouard Ravel, 1878-1960) の二人の息子を音楽家にすることを切望していたようである. 母親のマリ・ドリュアール (Marie Delouart, 1840-1917) は, ピレネー山脈付近のバスク地方の出身であった. 母親がスペイン人系であったという事実は, 後にラヴェルの作品に少なからず影響を与えることになる.
音楽家という職業に対して両親の理解があったことは, ラヴェルにとってきわめて幸運であった. 才能の伸縮においては, 教育環境が大きな影響を及ぼすからである.
 
 7歳の頃 (1882 年) にアンリ・ギス (Henri Ghys, 1839-1908) についてピアノの稽古を始めたラヴェルは, 12歳の頃 (1887年) から
シャルル・ルネ (Charles René, 1863-1940) に和声学と対位法を学びはじめ, 2年後 (1889年) には, パリ音楽院のウジェーヌ・アンティオーム (Eugène Anthiome, 1836-1916) のピアノ予備クラスに入学, さらにその2年後 (1891年) には, シャルル・ド・ベリオ (Charles de Bériot, 1833-1914) のピアノ本科クラスに入学を許可され, そこで, のちに彼のピアノ曲の多くを初演することになるスペイン人のリカルド・ヴィニェス (Ricardo Viñes, 1875-1943) と知り合うことになる.
 

 
グロテスクなセレナード Sérénade grotesque 1893
 音楽雑誌『ルヴュ・ミュジカル』(La Revue musicale) の「モリス・ラヴェル記念特集号」(1938) に掲載された『自伝的素描』(Une esquisse autobiographique de Maurice Ravel) (文献 [9]) によれば, ラヴェルの最初の作品は 1893年頃のものであるという. その中の一つ《グロテスクなセレナード》が作曲されたのは, 彼がエミール・ペサール (Émile Pessard, 1843-1917) に師事している頃であった.
 
 
自筆譜には単に "Sérénade" と記されているのみであるが,『素描』においてはラヴェル自身が "grotesque" と形容している. 実際, 標題から連想されるようなロマン派的で優美な印象は,「きわめて粗野に」"Très rude" と指示されたピツィカーティッシモによる冒頭の厳しい響きによって早くも断ちきられてしまう. 自筆譜の第1頁に見られるラヴェルの筆致も, 内に秘められた情熱を窺わせる激しさが感ぜられよう.
 
 『素描』において, 彼はさらに, この作品におけるエマヌエル・シャブリエ (Emmanuel Chabrier, 1841-1894) の影響を示唆している. その一方,
独特の怪奇趣味や斬新な不協和音など, 彼のアイロニーに満ちた固有の性格が明瞭に現れていることを見逃してはならない. ここで用いられる大胆な和声は, 後年の彼の作品と比較してもかなり前衛的な部類に属するであろう.
 
 楽曲構成は, A-B-C-B'-C'-A' という風変わりなものであり, 記譜上は嬰ヘ短調ながらも, 冒頭部からこの調性を無視した和声が14小節も続く. ようやく主調が現れる15小節目以降も複雑な和声をもって曖昧な調性が続くうえ, 今度は8分の6拍子と表記されているにもかかわらず, 弱拍におかれた不規則なアクセントやスフォルツァンドが立てつづけに現れ, その複雑なリズムからこの拍子を感じとることは容易ではなくなってくるのである.

 この曲における和声上ないしリズム上の即興的な書法は, 後年の円熟したピアノ組曲《鏡》の中の《悲しき鳥》および《道化師の朝の歌》, あるいは《夜のガスパール》の中の《スカルボ》に比肩するものであり, ここに彼の驚くべき早熟ぶりを見る. ウラディーミル・ジャンケレヴィッチ (Vladimir Jankélévitch, 1903-1985) が述べるように,「
彼が完成に達する速さは奇跡にも等しく, (ショパンやフォーレと同様) 彼はたちまち彼自身になる」(文献 [1]) のである. 楽想の技巧的な展開や変奏は見られぬものの, 学生時代の習作とは思えぬ特異な個性を放つ逸品と言えよう.
 

 
恋に死せる女王のためのバラード Ballade de la reine morte d'aimer 1893
 また, 同年に書かれた最初の歌曲《恋に死せる女王のためのバラード》では, ラヴェルの音楽の特徴の一つである異国趣味 (exotisme), ここでは特に東洋趣味 (orientalisme) が現れている. 1889年に開催されたパリ世界大博覧会において, 彼は, タヒチの舞踊, 中国の塔, ジャワのガムランなど, 東洋の伝統文化を知って少なからず感化されたという. これが契機となって生じた異国情緒へのあくなき憧憬は, 生涯にわたって彼の作品群を支配することになる.
 
 この曲では, ベルギーの詩人ロラン・ド・マレ (Rolland de Marès, 1874-1955) による中世ボヘミアの物語が描かれている.「ボヘミアの吟遊詩人の口説き文句に忘我の境地をさまよったトゥーレの女王が, やがて星のかなたへと昇天してしまった. 恋こがれて殉じた彼女のために, あらゆる鐘が至高の讃歌を奏ではじめる.」
 
 ラヴェルは, この詩が描く情景を, ニ音を主音とするドリア旋法と単調な反復和音を用いた静謐で寂しげな曲想で表現している. 西洋音階としてのニ短調ならば (調性記号として) ロ音 にフラット♭を付すところであるが, 自筆譜では「調性記号として」ロ音にナチュラルが付され (ドリアの6が強調され) ている. 一部の装飾音符を除けば臨時記号を一つも用いない (ピアノの白鍵のみで演奏できる)
簡素な装いの楽譜で, 弔鐘を表す特徴的な伴奏型が物語とみごとに調和しており, 音楽全体に漂うそのノスタルジックな雰囲気には, 何とも言えない魅力がある.
 

 
古風なるメヌエット Menuet antique 1895
 その翌々年には2つ目のピアノ曲《古風なるメヌエット》が作曲された. ラヴェル自身は,『素描』において, この曲は「後々の私の作品の中で他を凌駕する要素を含んでいる」と述べている. これが具体的に何を指すものかを彼自身は明らかにしていないが,《グロテスクなセレナード》と同様の洗練された不協和音, 弱拍におかれた不規則なアクセントやスフォルツァンドによる特異なリズム, 楽曲のもつ形式や中間部の叙情的な和声や各所に配置された対位法的な手法に代表される擬古趣味 (archaisme) などは, 彼の示唆する「要素」に値しよう.
 
 形式は, 主題の変奏や展開をまったく含まない厳格なる三部形式である.「メヌエット」なる標題から想起される穏やかで優雅な印象は, 冒頭の強烈な不協和音で瞬時に打ちこわされるが, その後に散りばめられた "antique" な楽想は, 聴く者の注意を引く美しさをもつ. 鋭利な不協和音と目まぐるしい転調を投入しつつ, メヌエットという古典的楽曲形式の枠組や下げられた導音を多用した擬古的な和声をもって, 上品な香気と懐かしさを呼び醒ます郷愁性を漂わせるのである.
 
 特に, 嬰ヘ長調の中間部における美しいノスタルジックな響きは, 聴く者を心底から陶酔させる. その本質は, 個人的な恋愛感情のような甘い叙情性ではなく, 人類が歩んできた古代からの歴史に想いを馳せるような普遍的かつ壮大な叙事性である. 弱冠二十歳の作品であるが, 単なる若書きとして片づけられるものではなく,
ラヴェルの卓越した作曲技法を遺憾なく発揮した, 完成度の高い作品と言えよう.
 
 この曲は, ヴィニェスによって初演され, ラヴェルの最初の出版作品となった. なお, この曲には
彼自身の編曲による管弦楽版 (1929) が存在する. 3管編成の重厚なオーケストレーションが施され, その管弦楽法は, 作曲当初から管弦楽曲として構想されたかのごとく聴く者を錯覚させるほどである. 原曲にもましてフランス的な優美性にあふれた傑作と言えよう.
 

 
暗く果てない眠り Un grand sommeil noir 1895
 歌曲《暗く果てない眠り》は, 嬰ハ短調を基調とした和音を一拍ごとに淡々と重ねるだけの簡素なピアノ伴奏をもつ. ポール・ヴェルレーヌ (Paul Verlaine, 1844-1896) の, ある事件によって監獄生活を余儀なくされていた詩人自身の沈鬱な心情を吐露する.「緩やかで沈鬱な弔いの鐘が響く中, 詩人には大きな深い眠りが落ちてくる」といった内容が低く呻くように歌われ, ただ一ヶ所だけわが身の不幸に対して感情を爆発させる部分を印象的に聴かせる音楽である.
 
 この頃の彼の歌曲の共通する特徴として, 厳粛な瞑想性, あるいは世紀末的な退廃性が挙げられよう.
若者らしい希望や憧憬に満ちた詩ではなく, 倦怠や絶望や死を思わせる内省的な詩が選択されているのである. 自己の感情を抑え, 周囲に対して常にアイロニーに満ちた微笑を浮べている若き日のラヴェルの内面が垣間見えよう.
 
 なお, 同詩による歌曲はほかにも存在する. 1906年にはエドガー・ヴァレーズ (Edgar Varèse, 1883-1965) が, 1910年にはイーゴリ・ストラヴィンスキー (Igor Stravinsky, 1882-1971) が, 1945年にはアルテュール・オネゲル (Arthur Honneger, 1892-1955) が, それぞれ短くも美しい歌曲を作曲している. ラヴェルのこの歌曲が彼の生前に演奏や出版された記録がないため, 彼らの歌曲がラヴェルの影響を受けているか否かは分からない. 楽譜が出版されたのは, 彼らの歌曲が作曲された後 (1953年) のことである.
 

 
聖女 Sainte 1896
 歌曲《聖女》も,《恋に死せる女王のためのバラード》や《暗く果てない眠り》と同様, 和音を一拍ずつ淡々と重ねるピアノ伴奏をもつ. 当時のラヴェルが強い関心を寄せていたステファヌ・マラルメ (Stéphane Mallarmé, 1842-1898) の詩が採られており, 窓辺で旧い祈祷書を広げている蒼ざめた聖女を歌っている. 意図的に構成された単調な表現により, 典礼の深い情趣を醸し出しているのである.
 
 この曲は, ラヴェルの掛かりつけであった医者の夫人に献呈されている. その夫人ジュヌヴィエヴ=マラルメ (Geneviève Mallarmé, 1864-1919) こそ, すなわち詩人の長女にほかならない. この頃のラヴェルは, 文学においてはマラルメやエドガー・アラン・ポー (Adgar Allan Poe, 1809-1849) に傾倒していたらしい.
 
 これらの作品を書く一方で, ラヴェルは, 1897 年からアンドレ・ジェダルジュ (André Gédalge, 1856-1926) に師事して対位法を学びはじめ, ガブリエル・フォーレ (Gabriel Fauré, 1845-1924) に師事して作曲を学びはじめた. この頃の作風は
シャブリエ (前出) やエリック・サティー (Erik Satie, 1866-1925) から多くの影響を受けている. すなわち, 前者がもつ南国の陽気な気質や色彩に惹かれ, 後者がもつ簡潔で直接的な表現方法に惹かれていたのである. ことに, 後者の独得の美学には相当に心酔していたという.
 
 当時, シャブリエやサティーに傾倒する学生は, 音楽院の一般の教授からは要注意人物と見なされていたのであるが, フォーレは, このような厳格なアカデミズムに拘泥しない自由な教授法を執っていた. ラヴェルは,
フォーレのもとで学ぶ幸運に恵まれたおかげで, 彼自身のア・プリオリな和声感覚に基いた個性的な作風を育むことができたのである.
 
 

 
耳で聞く風景 Les sites auriculaires 1897
 楽壇への出世作は, 2台のピアノのための《耳で聴く風景》であった. ラヴェルの非凡な才能と特徴的な作風が明確に現れた作品である. 1曲目の『ハバネラ』では, ラヴェル作品の特徴の一つであるスペイン趣味が色濃く打ち出された最初の作品で, ラヴェルの作品の中でもきわめて個性的な部類に属する. 伝統的なハバネラのリズムに3連符を巧みに交えた複雑なリズム感にラヴェルの天邪鬼的な性格が浮き出ていよう. また, 解決しない属七音程の連続, 長二度音程の2音の間に音を挟む不協和音, 対句を巧みに用いた精緻な楽曲構造は, 後年のラヴェルの作曲技法がすでに完成されていることを示すもので, ここでもラヴェルの早熟ぶりが窺えるであろう.
 
 ラヴェルのこの曲と, クロード・ドビュッシー (Claude Debussy, 1863-1918) の《版画》の第2曲
《グラナダの夕べ》の類似は, しばしば指摘されるところである. しかし, 後者は前者の6年も後の作曲であり, ドビュッシーの方がラヴェルの影響を受けていることは疑いがない. その上, 単純明快なリズムと和声をもつ後者に対し, 巧妙に計算された複雑なリズムと洗練された美しい不協和音をもつ前者, ……いずれの点においても前者が後者を凌駕していることは, 誰が見ても明白であろう.
 
 2曲目の《鐘が鳴るなかで》は, 1曲目とは打って変わって重厚な和音が織りなす華麗な主題が印象的である. その中で突如として現れる静謐で幻想的な中間部が注意を引く. 単純ながらこの美しい和声は,《恋に死せる女王のためのバラード》に端を発するもので, これも後年の作品にまで見られるラヴェル作品の特徴と言えよう.『ハバネラ』に比べ, 独創性はやや希薄であるが, ここに自己のスタイルを模索するラヴェルの姿が垣間見える. とはいえ, この曲が国民音楽協会 (SN=Société Nationale de Musique) で認められたことで, 彼は作曲家としての活動を本格的に始めることができたのである.
 

 
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ Sonate pour violon et piano 1897
 パリ音楽院時代の習作 (遺作とも言われる)『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』は, 彼の最初の室内楽作品である. 創作の動機には, 室内楽を得意とした師フォーレの『ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ長調』(1876) や, セザール・フランク (César Franck, 1822-1890) の『ヴァイオリン・ソナタ イ長調』(1886) の影響が考えられよう. また, 彼と同級であったヴァイオリニスト, ジョルジュ・エネスコ (Georges Enesco, 1881-1955) の存在も大きかったに違いない. 実際, エネスコとラヴェルがこの曲を初演しているからである.
 
 とはいえ, 後年の円熟期の傑作『ピアノ三重奏曲 イ短調』(1914) や『ヴァイオリン・ソナタ ト長調』(1927) に比べると, 主題の構成や展開の手法, 楽曲構成上の緊密性の点については, 再考の余地があろう. エネスコの存在にもかかわらず, ヴァイオリン声部の扱いも比較的単純で, 技法を存分に発揮しうるとは言いがたいし, 弦楽器特有の効果 (ピッツィカート, 重音奏法, ハーモニクス) もごく僅かにすぎない.
 
 しかしその一方, ピアノ声部の書法には, それまでの作品を凌駕する前進が見られる. 冒頭部におけるイ音を主音とするドリア旋法, 異なる連符の同時進行, アルペッジョ風の連続装飾音, 内声部の半音階的進行を多用した重厚な和音などには,『ピアノ三重奏曲 イ短調』の萌芽が窺えよう.
 
 単一楽章の明確なソナタ形式で書かれた作品で, そこに見られる
優美で高雅な楽想, 緻密に構成された和声は, ラヴェルの独創性を際だたせている. 彼のみずみずしい感性に基づく美学がいたるところに散りばめられているのである.『グロテスクなセレナード』に見られたような生硬さやアイロニーが薄れ, ラヴェルが表現したかったであろう本来の音楽が, この曲では流暢かつ雄弁にあふれ出ているように思われる. 若々しい感傷性や郷愁性が作品全体に息づいた, 聴く者を恍惚とさせる音楽である.
 

 
序曲『シェエラザード』 Ouverture "Shéhérazade" 1897
 同じ頃に書かれた作品に, 最初の管弦楽曲, 夢幻劇のための序曲《シェエラザード》がある. 標題から窺えるとおり, この曲も東洋趣味を全面に出している. 彼は, 自分の脚本によって「千一夜物語」に基く夢幻劇を書く計画を立てていたが, 結局は序曲のみが残され, 他の計画は実現されずに終わってしまったらしい.
 
 初演は, 国民音楽協会 (前出) においてラヴェル自身の指揮で行われた. 批評家からはほとんど認められず, 初演時にはかなり口笛でヤジを飛ばされたらしい.
ラヴェルは, 管弦楽法には満足しながらも, 楽曲構成や和声学上の問題点を理由としてこの曲に不信感を抱き, 生前には楽譜を出版させなかった (出版は, ラヴェルの生誕百年の1975年になってからである).
 
 彼は『素描』において, この曲におけるロシア音楽からの影響を指摘している. おそらく, リムスキー=コルサコフ (Nikolai Rimsky-Korsakov, 1844-1908) やミリー・バラキレフ (Mily Balakirev, 1837-1910) などの, ある特定の曲との類似点を指摘しているのであろう. たしかに, 後年の作品と比較すると, 楽曲構成にいくらかの未熟さがあることは否めない. けれども,
管弦楽法を巧妙に駆使して得られる幻想的な色彩や, 彼の他の楽曲には見られない特異な和声を多用した叙情的で繊細な楽想は, 単なる若書きにとどまらない魅力を備えている. ラヴェル自身, 出版には同意を与えないながらも, 手稿を破棄することはなかったのである.
 
 この曲における
東洋趣味や優美な幻想性は, 聴く者を酔わせ, いつの間にか別世界へと誘い込む魔力を秘めている. 冒頭部から神秘的なヴェールに包まれた響きを聴かせる音楽で, 中でも, サラベール (Salabert) 社版の手書き風スコアの pp.12-14 (RM 6), pp.16-20 (RM 7-8), p.45 (RM 21) における管弦楽法や和声には, 心底から惹き込まれる. 特異な書法が用いられているわけではない. 比較的単純な書法なのであるが, にもかかわらず, そこから産み出される魅惑的な音響効果に, ラヴェルの「管弦楽の魔術師」たるゆえんがあるのである.
 

 
紡ぎ車の歌 Chanson de rouet 1898
 同年の作品には, 歌曲《紡ぎ車の歌》がある. 歌詞の出典は, フランスの高踏派の詩人, ルコント・ド・リール (Leconte de Lisle, 1818-1894) の初期の作品『古代詩集』(Poèmes Antiques, 1852) である. フォーレやドビュッシーやレイナルド・アーン (Reynaldo Hahn, 1875-1947) たちも歌曲の題材に用いたこの詩集は, ギリシャやエジプトなどの神話を主題とし, 感情を制御した写実的な表現を特徴とする.
 
 紡ぎ車は, 多くの詩人が好んで歌った詩題である. ここでは, 必要なものをすべて与えてくれる紡ぎ車への愛をさりげなく歌い出す乙女の心が, 次第に翳りを見せ, 老いた自分の体にまとう死衣をも紡ぐであろうことまで語りだす. 紡ぎ車の滑らかに回る様子が, 終始ピアノの緩やかなトレモロで表現される. ホ長調を基調としつつも
半音階的旋回と情緒不安定な不協和音をもって調性が曖昧になっており, ロマン派的なものというよりも, むしろ不気味さと退廃性が聴きとれる. 歌詞と同様, 音楽的にも明確なメリハリはなく, 淡々と綴られる心境に合わせたもの憂い雰囲気をかもし出している.
 
 北原道彦は,「(ラヴェルは) 直接テキストに選んだ各派諸作家のほか, 多感な青春時代にプレイヤード派 (la Pléiade) の古代的詩をはじめ, シャルル・ボードレール (Charles-Pierre Baudelaire, 1821-1867), マラルメの詩やポーの詩論を単独し, オーギュスト・ヴィリエ・ド・リダラン (Auguste de Villiers de l'Isle-Adam, 1838-1889) の風刺と夢想, ジョリス・カルル・ユイスマンス (Joris-Karl Huysmans, 1848-1907) の独得な感覚と律動を好み, 感覚論哲学のエティエンヌ・ボノ・ド・コンディヤック (Étienne Bonnot de Condillac, 1714-1780) を愛読した」(文献 [3]) と述べている. この時代のラヴェルの文学的興味から歌曲に採用された詩題との関連性を考えるのは, 興味深いことである.
 

 
何と打ち沈んだ! Si morne! 1898
 《何と打ち沈んだ!》では, ベルギー出身の象徴派詩人, エミール・ヴェルハーレン (Emile Verhaeren, 1855-1916) の, 自己の邪悪や倦怠に対する苦悩が表現される. それまでの感情を抑制した歌曲とは異なり, 2オクターヴの音域を歌手に要求してややむき出しの感情を吐露させるという感情の力強さを見せる作品である. 和音の連続を中心としていたピアノ伴奏が, この曲では繊細なアルペッジョに変わり, 沈鬱な詩にきわめて叙情的かつ端麗な和声が施されている.
 
 「自己の内側に深く縮こまる. 心は重く, 気分は沈む. 暗く光のない片隅で衰えを覚える. 底なしの倦怠に包まれて腐りはてる. 夜の闇に閉じこもる. 倦怠そのものとなる」といった沈鬱な歌詞に, ラヴェルは淡々とした歌唱表現を与えた. 音楽に《暗く果てない眠り》のような沈鬱さはないが, 一方で, 各小節の最初の拍以外は休符を用いた後打ちにするというリズムを用いて, 不安定な雰囲気を漂わせている.
 
 《聖女》,《紡ぎ車の歌》,《何と打ち沈んだ!》は, ラヴェルの生誕百年 (1975年) になってから出版され, それ以前に初演された記録はない. 委嘱や演奏会用として作曲されたのではなく, 学生時代の習作の可能性もある. 実際, これらは, ラヴェルがフォーレに師事している頃の作品である. フォーレは, その学識からくる奥床しさや芸術家的態度をもって弟子たちの長所を認め, 自分の審美規準を押しつけることがなかった. これらの作品にも,
伝統的なアカデミズムに束縛されない自由な作曲姿勢が窺える.
 

 
クレマン・マロの風刺詩 Épigrammes de Clément Marot 1899
 上記歌曲とは異なり,《クレマン・マロの風刺詩》は, 1900年に, アルディ・テ (Hardy-Thé) の独唱とラヴェルのピアノによって演奏された記録がある. ラヴェルの生前に演奏された最初の歌曲と言ってよい. ルネサンス期の詩人, クレマン・マロ (Clément Marot, 1496-1544) の詩から,《雪を投げつけたアンヌ》と《スピネットを弾くアンヌ》の2篇を選んで音楽を施したものである.
 
 「アンヌが遊び半分に投げつけた雪は, 冷たいどころか焼けつくように熱い火であった. わが身を焦がすこの火を消せるのは彼女の優しさのみ」と歌う《雪を投げつけたアンヌ》は, 古風で高雅な和声と穏やかな雰囲気をもつピアノ伴奏が大変に美しい作品である.「若くて端整なアンヌの指がスピネットの美しい音色を奏でるとき, 彼女に少しは愛されていると思えて私は喜びを噛みしめる」と歌う《スピネットを弾くアンヌ》は, 弾むようなスタッカートのピアノ伴奏の中,
ラヴェルが書いた音楽の中で最も叙情的な順次進行を伴う美しい和声が現れる.
 
 アンヌとは, マロが魅せられた実在の女性であったらしい. ラヴェルは, 古風で高雅な和声をもつピアノ伴奏をもって, はるか遠い昔の時代へと想いを馳せる. 僅か5分たらずの小品であるが, そこに凝縮されたラヴェル独得の洗練された和声とどこか懐かしさを感じさせる郷愁性は, 聴く者の心をたちまち捉えるものである.
併行五度や併行八度を多用する中に 長九度やドリア旋法を含めるなど, 彼の擬古趣味がよく表れた作品である.
 

 
逝ける王女のためのパヴァーヌ Pavane pour une infante défunte 1899
 同年にヴィニェスのピアノにより初演されたピアノ曲《逝ける王女のためのパヴァーヌ》は, 彼の名を一躍有名にした作品で, ラヴェルの全作品の中でも特に知られた名曲である.「パヴァーヌ」とはバロック時代の緩やかな舞曲形式を指す.『古風なるメヌエット』や《クレマン・マロの風刺詩》に続いて, ここでも彼の擬古趣味が見てとれよう.
 
 発表当時, この曲は若い女性たちの間で大変な人気を博したらしい. その事実がラヴェル自身にいくらかの気恥ずかしさを引き起こさせたのであろう. 彼は, 楽曲構造の単純さやシャブリエの《絵画的小曲集》の『牧歌』との書法上の類似点などを理由に, この曲に対する評価を不当に低く見積もろうとした.
詩のような美しい響きをもつ標題についても「単に infante と défunte との韻を踏むための修辞句にすぎない」とそっけなく述べている. infante が誰を指すのかは不明であるが, これがスペイン語であること, すなわち princesse (仏語) や princess (英語) ではない点に注意する必要があろう. ラヴェルのスペイン趣味の萌芽がここに見られるからである.
 
 この曲における
憂愁を帯びた高雅な楽想は, 胸の奥まで染み通るような美しさ, 聴く者を心底から浄化させる気高さをもつ. 冒頭の旋律や和声のすばらしさもさることながら, 中間部における洗練された崇高な響きは, ラヴェルの抜群の音楽性を示すものにほかならない. この作品を自ら酷評しつつも, 11年後 (1910年) に管弦楽用に編曲したところに鑑みれば, やはり, ラヴェル自身もこの曲に対して少なからず愛着を感じていたと見てよいであろう.
 
 この
管弦楽版も原曲に劣らず有名であり, 原曲にもまして優れた芸術性を誇るものと言えよう. 前半部のホルンやオーボエが醸し出す哀愁感や, 中間部の木管楽器群と弦楽器が奏でる神聖な響き, 特にハープのグリッサンドがもたらす天上の美しさは, 何と形容すればよいであろう. ラヴェルの巧妙な管弦楽法は, 原曲のすばらしさを至高の域にまで到達させるものである.
 

 
§2.前期の作品 First Period Works 1900-1907
 ラヴェルは, 自分の作品を批評家に認めさせるためと家庭の事情とによって, 当時, 作曲家への登竜門とされていたローマ大賞 (Prix de Rome) に挑戦することにした. 応募資格は30歳以下で, 和声学, 対位法, フーガを課題とする予選作品がパリ音楽院 (Conservatoire de musique) の教授たちによって審査され, 指定歌詞による管弦楽つきの声楽曲を課題とする本選作品が芸術アカデミー (Académie des Beaux-Arts) 会員によって審査されるというものであった.
 
 25歳の頃 (1900年), ラヴェルは予選で《舞姫》を作曲したが, 本選に進むことができなかった. 翌年は《あらゆるものが輝いている》で予選を通過し, 本選でカンタータ《ミルラ》を作曲した. 課題曲に対して少なからず不満をもったせいか, 彼の作品に皮肉さを嗅ぎつけた
審査員たちは, 彼に一等賞を与えず, 二等賞を与えたのであった.
 
 翌年, 翌々年には,《アルシオーヌ》,《アリサ》を作曲してローマ大賞に再挑戦したが, やはり認められなかった.
年齢制限ぎりぎりの1905年の応募の際には, 予選課題として作曲した《曙》が「審査員が馬鹿者あつかいされることには我慢できない」と評され, 本選に進むことすら拒まれたのである.
 
 師フォーレはラヴェルを擁護したが, ラヴェルの才能を髙く評価する人々のパリ音楽院に対する反感は収まらず,
文豪ロマン・ロラン (Romain Rolland, 1866-1944) もラヴェルを弁護する文章を発表したという. 結果として, 音楽院長のテオドール・デュボア (Théodore Dubois, 1837-1924) ほか数名の教授が辞職に追い込まれ, フォーレが新たに音楽院長に就任するという事態にまで発展することになった (第一のラヴェル事件).
 

 
舞姫 Les Bayadères 1900
 現時点において, ラヴェルの最初のローマ大賞への挑戦における予選課題として書いたフーガを耳にすることはできないが,『ラヴェル~生涯と作品』(文献 [6]) によれば, 構成不足や推敲不足などが見られ, 必ずしも上出来と言えるものではなかったという.
 
 《舞姫》は,
ソプラノ独唱, 混声合唱, 管弦楽のためのト短調の作品で, フリギア旋法を用いたスペイン風の舞曲である. 課題として与えられた歌詞は, 可憐な踊り子の様子を描いた平凡なものであり, たしかにラヴェルの創作意欲を湧かせるものではなかったであろう. 課題に対して積極的に取り組めなかったためか, その音楽も, ラヴェルの作品にしては没個性的である. あるいは, この程度のレヴェルでなければ審査員たちには理解されないと考えたのであろうか.
 

 
あらゆるものが輝いている Tout est lumière 1901
 ローマ大賞の二度目の挑戦のときに予選課題として作曲された《あらゆるものが輝いている》は, イ長調の素直な和声で書かれたバルカロール風の美しい小品である. 課題としての歌詞は, 例によって, 風光明媚を称賛するだけの平凡なものであるが, ラヴェルは, これに精緻で効果的な管弦楽法と繊細な和声を施している. 中間部のソプラノ独唱の背後に用いられる属九から減五に転ずる和音などを用いたハーモニーは, 官能的な響きが豊かであり, リヒャルト・ヴァーグナー (Richard Wagner, 1813-1883) や, グスタフ・マーラー (Gustav Mahler, 1860-1911) の作風を思わせる.
 
 この作品も, ラヴェルの本領を発揮したとは言いがたいが, それはおそらく審査員たちの力量を考えて故意に保守的に堕したためであろう. ともかくも, 彼はこの作品によって予選を通過したのであった.
 

 
カンタータ《ミルラ》 Myrrha 1901
 本選で作曲したカンタータ《ミルラ》は, フェルナン・ベシェ (Fernand Beissier, 1858-1936) の歌詞に3名の独唱者をもつ管弦楽を付した作品である. 前作の予選課題とは異なり, ピョートル・チャイコフスキー (Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840-1893) やリムスキー=コルサコフに見られるロシア的な雰囲気が終始ただよっている. 期限に間に合わず急いで仕上げたためであろうか, 終結部には工夫が見られず音楽は突如として終わってしまう. ラヴェル自身が友人に送った書簡によれば, オーケストレーションを施す充分な時間を確保できなかったらしい.
 
 結局, この年はアンドレ・カプレ (André Caplet, 1878-1925) が大賞を受賞した. 今, カプレの《ミルラ》を聴いてみても, その作品がラヴェルのそれより優れているとは思えないが, いずれにせよ, ラヴェルは第3位に甘んずることになってしまった.
ローマ大賞に挑戦するラヴェルには, 本来の個性や力量を意図的に崩して審査員の程度に合わせて作曲しなければならないという不毛な障害がつねにつきまとったのである.
 

 
夜 La nuit 1902
 翌年の予選課題として作曲された《夜》は, 夜の海辺の情景を中心に静かな瞑想が歌われる歌詞に変ホ長調を基調とした素直な和声が付けられた, ソプラノ独唱と混声合唱のための管弦楽作品である. 例によって, ラヴェル自身の独創性を故意に圧殺して審査員好みの音楽にしようという, 虚しい努力が垣間みえる.
 
 この年もラヴェルは, 楽曲構成や管弦楽法に真新しい点のない19世紀中頃の憂愁を帯びたロマン派的な和声のこの作品をもって予選を通過した. ラヴェルがあえて質を落とした作品を書いた事情は理解できるにせよ, 当時のパリ音楽院がこのような凡庸な作品を良しとする教授法をとっていた点については, いささかの不信感を禁じえない.
 

 
カンタータ《アルシオーヌ》 Alcyonef 1902
 とはいえ, 首尾よく本選に進んだラヴェルは, カンタータ《アルシオーヌ》を作曲した. これは, 古代ローマの詩人オウィディウス (Ovidius, B.C.43-A.D.17) の神話に基づく悲恋物語を題材とした声楽曲である. 《ミルラ》と同様, この曲においても, ボロディン (Alexander Borodin, 1833-1887) やリムスキー=コルサコフなどロマン派のロシア音楽を思わせる和声や管弦楽法に終始する. 特にその冒頭部は, チャイコフスキーの作品と言われても納得してしまうほど巧妙にできたイミテーションである.
 
 審査で要求されるアカデミックな様式に合わせることは苦痛であってにせよ, ラヴェルにとって,
あえて課題を設けた「人工的な様式」で作曲することには, それほど困難を感じなかったと思われる. 後年のラヴェルは, 作曲する際に意図的に制限を設けることが多々あり, これをむしろ楽しんでいた感があるからである. しかし, さすがの審査員たちも, このような模造品に対して賞を与える気にはならなかったのであろう. ラヴェルは, この年も審査員たちの関心を買うことができず, 年下のエメ・キュンク (Aymé Kunc, 1877-1958) に賞を譲らねばならなかった.
 

 
プロヴァンスの朝 Matinée en Provence 1903
 1903年に, 発明家の父が新作の車をもってアメリカでのサーカスに参加したところ, 事故によって運転手が死亡して興業が中止となり収入が途絶えるという, 非常事態が発生した. 家計を助けるためにも, ラヴェルは大賞をとって賞金を得たいところであった.
 
 この年, ラヴェルは《プロヴァンスの朝》をもって予選を通過した. とはいえ, プロヴァンスの情景を楽観的に描いた平凡な歌詞は, 彼の作曲意欲を大いに喪失させるものであった. 彼は辛抱づよく創作に取り組み, 大変に美しい和声の声楽作品に仕上げたのである. この曲は, 恐らく
彼が生涯に作曲した全作品の中でも, 最も陽気ですがすがしい気分に満ちた音楽であろう. 私自身は, 音楽の没個性的である点はさておき, それまでのラヴェルが決して見せなかった若者らしい憧憬や希望を素直に謳ったこの音楽に強い魅力を感ずる.
 

 
カンタータ《アリサ》 Alyssa 1903
 本選に進んだ後も金銭的な問題がラヴェルを悩ました. 本選課題のカンタータ (演奏時間にして30~45分程度) を制作する一ヶ月もの間, 定められた作曲室に缶づめ状態にされるのであるが, そこに要する生活費が決して軽い負担額ではないからであった.
 
 本選課題のカンタータ《アリサ》は, マルグリット・コワフィエ (Marguerite Coiffier) の歌詞を用いた声楽作品で, 前作のカンタータと同様, ロシア的な要素の色濃い音楽である. とはいえ, この曲は完璧なる模造品ではなく, ところどころに, 後年の彼が称賛したジャコモ・プッチーニ (Giacomo Puccini、1858-1924) の
美しい叙情性が垣間みえる. ラヴェルも大賞への挑戦にはいささか嫌気が指していたのであろう. 結局は意にかなった作品にはならず, やはり年下のラウル・ラパッラ (Raoul Laparra, 1876-1943) に大賞を奪われてしまったのであった.
 

 
曙 L'aurore 1905
 1904年にローマ大賞に挑戦しなかった理由は明確ではないが,《水の戯れ》(1901) 以降,『弦楽四重奏曲 ヘ長調』(1903) や歌曲《シェエラザード》(1903) などの傑作ですでに有名になっていたラヴェルにとって, 作曲家への登竜門としての大賞の受賞はもはや必然性が薄れていたのであろう. 大賞のための気乗りのしない義務的な作曲よりも, このような傑作を生みだすことの方に価値を見い出していたのかも知れない.
 
 1905年は大賞に挑戦できる最後の年である. 予選課題として書かれた《曙》は, それまでの予選課題とは異なり, テノール独唱と混声合唱のための管弦楽作品で, 書法もいくらか洗練され, 短い作品ながらも
感情起伏を過不足なく加えた精度の高い作品になっている. しかし, ここに見られる書法は伝統的なアカデミズムに反するものであり, 保守的な審査員たちに警戒心をもたせるものであった. それゆえ, 残念ながら, ラヴェルは予選を通過することができなかった. ラヴェルにとって最後の機会を簡単に奪ったパリ音楽院に対する世間の反発は激しく, ひと騒動に発展したことは先述した通りである. それほどラヴェルの作曲家としての力量は世の人々に認められていたのであった.
 

 
水の戯れ Jeux d'eau 1901
 ローマ大賞のために気の進まない応募作品を書く一方で, ラヴェルは新しい方面へ足を踏み入れていた. 彼が印象主義の手法を確立した最初の作品《水の戯れ》では, 緻密で硬質な音色の中に, 華麗で繊細な幻想的世界を描いている. これは, 彼のピアノ作品のみならず, 現存するすべてのピアノ曲の中でも最も優れた作品と言えよう. 流れる水あるいはきらめく噴水の様子を, これほどまで変幻自在かつ色彩豊かに描いた曲がかつて存在したであろうか. ピアノでなければ表出不可能な音型や音質を充分に発揮しており, 書法の独創性やここに醸し出される流麗な詩情は絶品である.
 
 Jeux d'eau は噴水を指す. ラヴェルは, アンリ・ド・レニエ (Henri de Régnier, 1864-1936) の詩集から「水にくすぐられて笑う川の神」"Dieu fluvial riant de l'eau qui le chatouille" を引用している. この rire は, sourire (=smile) ではなく, laugh と同義である.
 
 一般に, 印象主義音楽はドビュッシーが先行したと考えられている. しかし, この曲が《映像 第1集》(1905) より4年も早くに書かれたことを思えば, ピアノ音楽における印象主義は, ラヴェルが先行したと考えてよい.《水の戯れ》によるラヴェルの無言の挑戦に対し, ドビュッシーは《映像 第1集》の《水の反映》をもって応えるのであるが,
楽曲構成力, 和声の新鮮度, ピアノ書法の多彩性, 演奏効果などを総合的に判断すれば, この勝負はラヴェルの方が圧倒的に優勢である.
 
 《水の戯れ》は, リスト (Franz Liszt, 1811-1886) のピアノ曲《巡礼の年 第3年》(1877) の第4曲《エステ荘の噴水》をモデルにしていると言われる. ラヴェルはリストの音楽を好んだらしく,「《水の戯れ》はどのように弾かれるべきか」との問に,「もちろんリストのように」と答えたという. 私自身は, リストの作品には何ら感心すべき点を見いだせないが……. 単純な音型と平凡な和声に終始する《エステ荘の噴水》ごときをモデルとして, よくぞ《水の戯れ》のような幻想性と色彩感にあふれた音楽を創り出せたものだと, むしろラヴェルの特異な才能に感嘆するばかりである.
 
 ソナタ形式で書かれたこの作品は, 主調上の長七度の和声の中で躍動する第一主題, 属音上にさざめく長二度の連続の中に浮き出る第二主題のいずれもが独創的で, 大変に魅力的である. 展開部においては, これらの主題が流暢かつ敏捷な跳躍と縦横に変幻する絢爛な和声をもって徐々に情感を高め, 最高潮に達した緊張感を, 黒鍵による下降型のグリッサンドが一気に崩す. 再現部中盤のカデンツでは, 短調と長調の主和音を交錯させながら全音音階で下降する右手と, 完全五度と長三度を交錯させる左手を組み合わせたアルペッジョに続き, ハ長調と嬰ヘ長調を交錯させる複調によるアルペッジョが, この曲を効果的に演出する. 大変に
印象的で, その美しさに魅了される音楽である.
 
 この曲は, 恩師フォーレに献呈され, SN においてヴィニェスによって初演された.
 

 
弦楽四重奏曲 ヘ長調 Quatuor à cordes 1903
 翌々年, 室内楽曲『弦楽四重奏曲 ヘ長調』によって, ラヴェルの作曲家としての地位は不動のものとなった. 弦楽四重奏という分野では, 数年前にドビュッシーがこれを発表し, それまでにまったく存在しなかった新しい和声や書法や様式を取り入れたことで注目を集めていた. ラヴェルのこの曲も少なからず影響を受けている. しかし,「ドビュッシーのそれがドビュッシー的であるよりも, ラヴェルのそれの方がよりラヴェル的である」とするジャンケレヴィチの見解 (文献 [1]) は正鵠を射たものである. この曲には, ラヴェルの音楽を特徴づける叙情性の強い高雅な楽想や綿密に構築された和声と楽曲構成とがあますところなく発揮されており, 彼の作品の中でもとりわけ優れた個性を光らせている.
 
 室内楽曲の中で最も作曲が困難とされるこの弦楽四重奏という形式は, 制約された手段の中に自由な発想を引き出すラヴェルにとってはかえって好都合のものであった. 古典的楽曲形式に厳格にしたがう作曲は,『ソナチネ』,《クープランの墓》,『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』などの例に見られるように, ラヴェルの優れた作曲技法を最も充実して発揮できる手段であったわけである. 師匠のフォーレが晩年になってようやく手をつけたこの弦楽四重奏という分野に, 弟子のラヴェルは早々に手をつけ, 成功したのであった.
 
 
ドビュッシーは, ラヴェルに対して,「音楽の神々と私の名において, 貴君の弦楽四重奏曲には絶対に改訂の手を加えてはならない」と忠告したようであるが, 現在知られているこの曲は, 後にラヴェルが大幅に手を加えたものである.『素描』において, 彼は,「『弦楽四重奏曲』は音楽的構成を意図したもので, おそらく不充分ではあろうが, 私の以前の作品のいずれにもまして明確にその意図が現れている」と述べている. 高雅で繊細な美に若々しい詩情が結実した, きわめて魅力的な作品である.
 

 
歌曲《シェエラザード》 Shéhérazade 1903
 また, 同年に作曲された歌曲《シェエラザード》は, 序曲《シェエラザード》に続いて, ふたたび異国趣味 (ここでは特に東洋への憧憬) が表現されている. 《アジア》,《魅惑の笛》,《つれない人》の3曲からなる, ソプラノ独唱と管弦楽による歌曲である.『弦楽四重奏曲』の厳格な清浄さと《シェエラザード》の放恣な快楽主義, ……同年に書かれた相反する性格の2作品であるが, いずれも繊細で豊穣なる美を追窮している点では, ラヴェルの目指すものに迷いはないと言えよう.
 
 
ラヴェルの当時の芸術家仲間 (アパッシュ "Les Apachies") の一員であったトリスタン・クリングゾル (Tristan Klingsor, 1874-1966) の同名の詩に対して, ラヴェルはよほど魅力を感じたのであろう. 同時期のローマ大賞応募作品とは比較にならないほど, 官能的で神秘的な雰囲気を表出し, 管弦楽法も精緻に構築されている.
 
 
おそらく, この曲は前年に初演されたドビュッシーの歌劇《ペレアスとメリザンド》の影響をかなり受けているであろう. ラヴェル自身は,《素描》において「少なくともドビュッシーの精神的な影響が明白な作品であり, 子供の頃から惹かれていた東洋の魅惑に服従している」と述べている. 印象派風の管弦楽法と言葉のもつ抑揚を利用した旋律とを特徴とし, 東洋の憧憬を夢と幻想のヴェールに包み込む淡く繊細な響きの中を, 朗誦風のソプラノ独唱が香気をただよわせる音楽である.
 
 アジア各国に対するせつない憧憬が歌われる第1曲《アジア》は, 特にすばらしい. デュラン (Durand) 社版のスコア p.16 (RM 9以降) から始まる情感の高まり,「私は見たい, ペルシャを, インドを, シナを……」と歌われる中国風の音楽 (RM 11,12) に見られる, ピッコロ, フルート, クラリネット, ホルン, チェレスタ, ハープによる華麗な響き……. あふれ出る憧憬の念を表現するのにこれを凌駕する音楽を, 私は寡聞にして知らない.
 
 第2曲《魔法の笛》は, 恋人の奏でる笛の音色に酔う女性の心境を歌う曲で, 白昼の気だるい雰囲気の中, 澄んだフルートの音色と妖艶な和声が醸しだす不可思議な魅惑の世界を演出する. 第3曲《つれない人》は, 異国の人に失恋した女性の嘆きを綴った曲で, 終始穏やかな美しい和声の中でたゆたうように静かに歌われる. 余談ながら, 第3曲を献呈された歌手エンマ・バルダック (Emma Bardac, 1862-1934) は, フォーレの元愛人でドビュッシーの後妻となった人物である.

 

 
花のマント Manteau des fleurs 1903
 ポール・グラヴォレ (Paul Gravollet, 1863-1936) の詩による《花のマント》は, マントのように咲き誇るバラ色の花の中を歩く恋人を歌う, 気品のある小曲である. 冒頭部から情熱的な中間部までは花園の美しい情景が描かれ, 後半部おいてすべては恋人を包む花のマントであることが明かされる. とはいえ, 総じて単調で凡庸な印象の強いこの詩を, ラヴェルはなぜ採り挙げたのであろうか. 作曲の経緯は不明で初演の記録はないにもかかわらず, 楽譜は1906年に出版されている. さらには, ラヴェル自身による合唱と管弦楽用の編曲も存在するのである (こちらも初演の記録は残されていない).
 
 詩の単調性を払拭するためか, ラヴェルはこの詩に繊細で繊細な和声を施した. 32分音符の細かな動きを見せる
前半部は, 半音階進行のほか, 減三度や減五度を多用した非和声音に満ちており, 嬰ヘ長調の調号をほとんど顧慮していない.「露の涙で飾られた花々の中を彼女がバラ色の香りに恍惚となって……」と歌われる後半部ではいくらか調性が明確になるが, それでも嬰ヘ長調が聴かれるのは, ミクソリディア旋法を用いた最後の3小節のみである. この後半部は優雅で瞑想的な雰囲気に終始しており, フェイドアウトするように曲を終える.
 
 前半期初期において早くも個性の萌芽を見せたラヴェルは, 前半期半ばに入ると, 独自の書法をさらに確固たるものにしていくことになる.
 

 
ソナチネ Sonatine 1905
 そのような時期の最初に作曲されたピアノ曲『ソナチネ』では, 古典的形式を踏襲しつつ斬新な書法を採り入れている. ソナチネとは小さなソナタを意味する楽曲形式であり, この曲は, そのソナタ形式 (対照的な2つの主題に基づいた提示部, 展開部, 再現部に終結部が加わる) を極度に洗練した簡潔な書法をもって創られている. また, フランス音楽においては顕著に見られる循環形式 (異なる楽章間に現れる同一の主題) も見られ, 彼の優れた音楽的センスが光る逸品である.
 
 曲は3楽章構成をとり, 過不足のない簡素なソナタ形式で書かれた第1楽章, 優雅なメヌエット風の第2楽章, ロンド形式で書かれたトッカータ風の活発な第3楽章からなる. 全曲を通して高雅で感傷的な和声に彩られ, 第2楽章の可憐でノスタルジックな雰囲気, 第3楽章の半音階進行を含む洗練された不協和音は特にすばらしい.
 
 ところで, 従来の「ソナチネ」といえば, ムツィオ・クレメンティ (Muzio Clementi, 1752-1832) やフリードリッヒ・クーラウ (Friedrich Kuhlau, 1786-1832) のそれのような, ピアノ初学者向けの教育用小品を想起させるものであった. しかし, ラヴェルのそれは,
小規模ながらも演奏技術は相当に高度なものが要求され, 中級者程度の技術では歯が立たない. 嬰ヘ短調 (第1楽章, 第3楽章) や変ニ長調 (第2楽章) という教育用小品には見られない調性, 半音階進行など臨時記号を多用した独特の和声, 狭い音域内で両手を重ねるように演奏する部分やオクターヴ以上の音域を音が跳躍する部分が多いこと, 等々が, 演奏を困難にさせる要因となっている. しかし, ラヴェルのこの曲は音楽的には大変に魅力的であり, 高い芸術性を誇るものであることは疑いがない.
 
 ある音楽雑誌が主催したコンクールを機に作曲されたこの曲は, 初演当初から大変な人気を博したらしい. 楽譜を出版したデュラン社は, これ以後, ラヴェルの作品を数多く出版することになる.

 

 
鏡 Miroirs 1905
 また, 組曲《鏡》は, ドビュッシーの印象主義の影響を受け, 精緻な技巧によって客観的な事物の描写を試みた作品である. ラヴェルは, この曲について「私の和声書法の発達にかなりの変化を示している」と述べている. たしかに, 彼独特の鮮明な音づくりであり, 一般的な印象主義とはやはり一線を画しているように思う. ラヴェル自身は題名については何もふれていないが, おそらく, ピアノを鏡 (媒介) とした外界の風物の客観的描写を意味しているのであろう.
 
 曲は,《蛾》,《悲しき鳥》,《洋上の小舟》,《道化師の朝の歌》,《鐘の谷》の5曲からなる. 印象派風の描写音楽ともとれようが, ここではむしろ, 写実画的にそれらを精妙に描写したと言ってよい. ラヴェル自身が述べている「
即興に聴こえるような, そして《水の戯れ》から自分の作風を解放するような曲にしたい」という点についても, その意図は充分に達せられていよう. 彼の変幻自在な感性と筆致が結実した, 大変に魅力的な曲集である. 私自身が特に好んで弾く《蛾》や《悲しき鳥》は, 調号を無視するかのような自由な和声と装飾音や変拍子を多用した自由なリズムにより, きわめて即興性が強い作品と言えよう.
 
 各曲はそれぞれアパッシュ仲間に献呈されている. すなわち,《蛾》は「納屋の夜蛾は不器用に梁から梁へと飛んで蝶ネクタイのごとく止まる」と謳った詩人レポン=ポール・ファルグ (Léon-Paul Fargue, 1876-1947) に,《悲しき鳥》はピアニストのヴィニェス (前出) に,《洋上の小舟》は画家のポール・ソルド (Paul Sordes, 1877-1937) に,《道化師の朝の歌》は翻訳家ミシェエル・ディミトリ・カルヴォコレッシ (Michel Dimitri Calvocoressi, 1877-1944) に,《鐘の谷》は作曲家モリス・ドラージュ (Maurice Delage, 1879-1961) に, である.
 
 なお,《洋上の小舟》と《道化師の朝の歌》,
彼自身の手によって管弦楽版が作られた. 前者は冗長で地味なゆえかほとんど演奏されないが, 後者は, 音楽の素材のすばらしさに加えて華麗かつ豪華な管弦楽法がみごとな演奏効果を引き出しており, 現在でも頻繁に演奏される. ラヴェルの頭の中では, ピアノ版を作曲する段階においてすでに管弦楽の音色が響きわたっていたのであろう. しかしながら, 管弦楽版の初演は, さほど注目されずに終わってしまったらしい.
 

 
おもちゃのクリスマス Noël des jouets 1905
 《鏡》と同じ年, 歌曲《おもちゃのクリスマス》が書かれた. これは, ラヴェル自身の作詞によるもので,「ニスを塗った羊の群れが」という冒頭で始まり,「骨のスカートを履いた処女マリア」,「木製の陰気な犬のベルゼブス」,「砂糖づくりの幼児」,「丈夫な美しい天使たち」,「おもちゃの家畜ども」など, 架空の人物を言葉遊びのように脈絡もなく次々に登場させる. 終結部において「ノエル!ノエル!ノエル!と, か細い声で鳴いている」という歌詞をフォルテッシモで絶叫させるところに, ラヴェルの天の邪鬼的な一面が垣間みえる. 機械じかけのおもちゃをコレクションとしてもっていたラヴェルの「おとぎ志向」が現れた音楽であり, 子供好きであった彼ならではの音楽とも言えよう. 後年の歌劇《子供と魔法》で見られる書法がこの曲においてすでに見られるのである.
 
 余談であるが, ドビュッシーの晩年の作品に《家のない子供たちのためのクリスマス》(1915)という標題の歌曲があるが, こちらはラヴェルのような「おとぎ性」は見られず, 第一次世界大戦の犠牲となった子供たちの深刻な実情とやるせない心情とを描くもので, 音楽にもかなりの切迫感が見られる.
 

 
博物誌 Histoires naturelles 1906
 その翌年には《博物誌》と『5つのギリシャ民謡』が書かれている.《博物誌》は, ジュール・ルナール (Jules Renard, 1864-1910) の同名の散文詩から,「くじゃく」,「こおろぎ」,「白鳥」,「かわせみ」,「ほろほろ鳥」の5篇が選ばれ, 言葉の抑揚に合わせて話すように歌わせるレシタティーフ的に作られた旋律をもつ. 初演者のジャンヌ・バトリ (Jane Bathori, 1877-1970) に対して, ラヴェルは「話しぶりが音楽を引き出すように, 歌っていることを忘れなければならない」と忠告したという. 旋律に合わせてフランス語を当てはめるのではなく「フランス語に合わせて旋律を当てはめる音楽」である. 歌詞も深く吟味すべき内容をもたない荒唐無稽なものであるが, ラヴェルはそれぞれの動物に新たな生命の息吹を与え, これも後年の《子供と魔法》を彷彿とさせるような魅力的な音楽に仕上げている.
 
 このような歌曲は当時としてはかなり前衛的で, 初演時においては歌手が最後まで歌い通せないほどのヤジや口笛が飛ばされたという. その後も雑誌および新聞紙上でこの曲に対する賛否両論が戦わされたらしい (第二のラヴェル事件).
表面的には極度に感情を抑制した歌のようにも聞こえるのであるが, その裏に秘められたラヴェルの深い叙情性を見逃してはならない. 現在のわれわれがこの曲を聴けば, 当時のそのような悪評が信じがたいほど, 種々の面において優れた作品であることが理解されるであろう.
 

 
5つのギリシャ民謡 Cinq mélodies populaires grecques 1906
 『5つのギリシャ民謡』は, アパッシュ仲間であったカルヴォコレッシがギリシャ音楽の講演をする際に演奏する曲として作曲された. 語学に堪能であったカルヴォコレッシ自身が仏語訳を担当している.
 
 曲は, ギリシャのキオス島の民謡に基く5曲,「花嫁の歌」,「向こうの教会へ」,「私と比較される伊達男は誰」,「乳香と摘む女たちの歌」,「何と楽しい!」からなる. この
最後の曲はラヴェルの全作品の中でも底抜けに明るい音楽で, 歌詞も,「踊る美しい脚」,「食器も踊る」の2句以外は,「なんと楽しい!」を繰り返すのみである. ラヴェルの個性を充分に発揮した逸品と言えよう.
 

 
序奏とアレグロ Introduction et allegro 1907
 室内楽曲『序奏とアレグロ』は, フルート, クラリネット, ハープおよび弦楽四重奏という珍しい編成をもつ. この曲には, 1904年にドビュッシーが作曲した《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》というモデルがある. 半音階ハープの普及を目的としてプレイエル (Pleyel) 社がドビュッシーに委嘱した作品である. ラヴェルは, ペダル式ハープの普及をねらったエラール (Erard) 社からの委嘱でこの曲を作曲したのであり, 結果としてドビュッシーに対抗する形になったのであった.
 
 フランス印象派らしい高雅な香りを漂わせた淡い色彩感をもつ上品な逸品である.
ハープの繊細で流麗な技巧を鮮やかに浮き立たせており, 重音によるグリッサンドやハーモニクスが効果的に用いられている. カデンツァを含むソナタ形式という楽曲形式から, 小さなハープ協奏曲と見ることもできよう. フルートとクラリネットと弦楽四重奏の音色もよく溶け合い, ときには明確なコントラストをなすなど, 各楽器の用い方の巧みさもラヴェルならではである.
 
 彼がこの作品の委嘱を受けたのは, オランダ旅行の出発直前であった. そのため彼は, この曲を
約一週間という驚くべき短期間のうちにまとめることになる. 決して速筆ではなかったラヴェルがこのような異例の短期間で作品を仕上げたことで, 彼がこの曲に対する不満足感を抱いた可能性は否めない. 数少ないハープ用の作品として比較的頻繁に演奏される作品であるにもかかわらず,『自伝的素描』において, 彼自身はこの曲については一言も発していないからである.
 

 
風は海から Les grands vents venus d'outre-mer 1907
 その翌年には, 歌曲《風は海から》と《草の上》が書かれた.
 
 《風は海から》は,《水の戯れ》の象徴句「水にくすぐられて笑う川の神」の作者であるレニエ (前出) の詩を用いているが, この曲で描かれる風はこの象徴句とは正反対の不安に満ちた陰鬱な雰囲気をもつ.「激しい風が苦々しい顔をした異邦人のように町を吹き抜ける」,「苦々しい顔の若者たちは風とともに海に向かって出かけて行く」といった歌詞が,「つぶやく」あるいは「うめく」ように歌われる.
 
 この曲には
旋律らしい旋律が存在しない. 和声は,《鏡》の延長線上に位置した半音階進行を多用したもので, 即興性の強い音楽である. 楽譜には一応は調性記号が付されているものの, 臨時記号が複雑に絡んで調性はほとんど崩壊している. その意味では, 後年の《マダガスカル島民の歌》の先駆をなす作品と言えよう.
 

 
草の上 Sur l'herbe 1907
 また《草の上》は,《暗く果てない眠り》と同様, ヴェルレーヌの詩を用いている. ロココ趣味の雰囲気をかもし出すフリギア旋法の優美なピアノを伴って, 酔いしれた神父と侯爵のざれごとが繰り広げられる.
 
 ラヴェルは, この曲について「《博物誌》と同じように,
ほとんど歌うことが困難であるような印象を与える必要がある. ここから少々高雅なものが見出せる」という意味深げな言葉を述べている (文献 [8]). 純然たる調性音楽でありながら, 二人の登場人物の言葉のやりとりには旋律らしい旋律が現れず, 気まぐれに「しゃべる」あるいは「ぼやく」ように連なっていく.
 
ハバネラ形式のヴォカリーズ Vocalise-étude en forme de habanera 1907
 ラヴェルのスペイン趣味は, 歌曲《ハバネラ形式のヴォカリーズ》から, 管弦楽曲《スペイン狂詩曲》や歌劇《スペインの時》へと続けざまに現れる.
 
 《ハバネラ形式のヴォカリーズ》は,
パリ音楽院声楽科の課題曲として委嘱されたソプラノ独唱用の練習曲であり, 標題の通り歌詞はなく終始母音で歌われる. 声楽の技巧を器楽に似せて発揮させるように創られており, トリルやコロラトゥーラ風の音の転がしなど高度な演奏技法が要求される. もの憂げなハバネラのリズムとスペイン風の洗練された和声の中, ソプラノによるヴォカリーズが悲しみ嘆くように情熱的に響く.《耳で聴く風景》の中の『ハバネラ』のような強い独創性は見られないにしても, この曲もラヴェルの作風の特徴を備えた魅力ある逸品と言えよう.
 

 
§3.中期の作品 Mid Period Works 1908-1915
スペイン狂詩曲 Rapsodie espagnole 1908
 ラヴェルの管弦楽曲の中で, 最初から純粋な管弦楽用の作品として作曲された唯一の曲が, この《スペイン狂詩曲》である. これは,《夜への前奏曲》,『マラゲーニャ』,『ハバネラ』,《祭》の4曲から構成される. 例によって当時としては相当に斬新な音楽であったため, 初演時は多くの聴衆の意表を突いたらしい. しかし, 進歩派の学生たちによるアンコールにこたえ, 再度『マラゲーニャ』が演奏されたという. なお,『ハバネラ』は,《耳で聴く風景》第1曲目の管弦楽編曲版である.

 「
管弦楽の魔術師」のラヴェルらしい, 鮮やかな色彩感に富んだ管弦楽法である.「夜への前奏曲」に見られるクラリネットとファゴットの二重奏のカデンツァは, リムスキー=コルサコフの《シェエラザード》第2楽章から着想を得たものと思われるが, その幻想的な響きについてはラヴェルの独創性が光っている.『マラゲーニャ』では7人の打楽器奏者を用いてスペイン情緒を彷彿とさせる. 通常の管弦楽作品には用いられないサリュソフォンのソロが聴けるのも注目に値しよう.
 
 4曲ともおのおの優れた個性をもつものであるが, 最も色彩豊かでスペインらしい情熱を見せるのは, 終曲《祭》であろう. カスタネットやタンバリンを用いた陽気なスペイン舞踊と, 弦楽器のけだるいグリッサンドに包まれたコール・アングレのもの憂い旋律が印象的である. 演奏に要求される技術も格段に高度なものになっている. スペインの作曲家
ファリャ (Manuel de Falla, 1876-1946) は, この曲を「スペイン人の音楽よりもスペイン的である」と言って絶賛したという.
 

 
マ・メール・ロワ Ma mère l'Oye 1908
 また, 同年には, ピアノ連弾用の組曲《マ・メール・ロワ》が書かれた. これは, イギリスのいわゆる『マザー・グース』(Mother Goose) であり, 子供好きであったラヴェルは, 友人夫妻の二人の娘のために, 童話の世界を描いたこの曲を作曲したのである. 曲は,《眠りの森の美女のパヴァーヌ》,《一寸法師》,《パゴダの王女レドロネット》,《美女と野獣の対話》,《妖精の園》の5曲から構成されており, おのおのが彼の書法を簡素化した形で子供の夢の世界をみごとに描いている. この連弾曲は, 子供でも弾けるように技術的に容易に書かれていながら, ラヴェルの個性は少しも色あせてはいない. 彼の作品の中でもとりわけ優れたものと言えよう.
 
 なお, この曲は, 4年後には
バレエ音楽として彼自身の手でみごとなオーケストレーションを施されることになる. これも, 他のピアノ曲の編曲と同様, 最初から管弦楽のために書かれたのではないかと錯覚するほど, その出来ばえはすばらしい.「ラヴェルにとって, ピアノのための記譜は, しばしば単に楽曲構造の一種の初期状態にすぎないように思われる. 彼は, あたかも下書版として概略の線を決定した後で, それだけが自分の意図にしたがって音楽を生き生きとさせてくれるであろう着色の楽しみに抵抗できなかったかのように, これらの作品を後になって管弦楽に編曲している」(文献 [3]) のである.
 
 バレエ用の管弦楽編曲版では,『前奏曲』や《紡ぎ車の踊りと情景》および4つの『間奏曲』が加えられ, 内容的に豊かなものになっている.
その精緻な管弦楽法と独創的な美しい響きは, ラヴェルの管弦楽作品の中でも特に際立った逸品であろう. 私は, 現存する管弦楽作品の中でもこの曲を特に好んで聴く. 聴く者を憧憬と夢幻の境地へと誘い込む魅惑的な響きに満ちているのである. 特に,《一寸法師》と《レドロネット》に挟まれた『間奏曲』に現れるチェレスタのソロ (デュラン社版のスコア pp.58-59) や終曲《妖精の園》の管弦楽法の美しさ! おそらく, これほどまでに繊細な筆致で子供の夢の世界を描きえた作品は, 過去にも未来にも存在しないであろう. なお, 管弦楽版は, 原曲と同じ曲から構成される「組曲版」とバレエ音楽としての「全曲版」とが存在するのであるが, 演奏会では「組曲版」が採り挙げられることの方が圧倒的に多い.
 

 
夜のガスパール Gaspard de la nuit 1908
 また, アイロジウス・ベルトラン (Aloysius Bertrand, 1807-1871) の詩による, ピアノのための3つの音詩《夜のガスパール》が書かれたのも同じ年であるが, 前作と比較するとその内容および性質において著しい対照をなしている. ベルトランは19世紀前半の詩人で, 貧困と病のため65篇の散文詩からなるこの詩集一冊のみを残して夭逝した. 怪奇的かつ幻想性に富むこの詩集から, ラヴェルは《水の精》,《絞首台》,《スカルボ》の3篇を選び, おのおのに絵画的で独創性の強い音楽をつけた. ラヴェルの作品にしては珍しく, きわめて激しい情熱的なものをその音楽の奥に潜ませている. 言語で表現された世界にこれほどまでに具体的に色づけする彼の想像力と作曲技法とに感服させられるのである. ピアノ音楽の可能性を限界まで究めたといっても過言ではない.
 
 この曲も《鏡》などと同様, ヴィニエスによって初演された. 曲のすばらしさもさることながら, 特筆すべきはこの曲の演奏に要する高度な技術であろう. 当時は難曲として知られていた
「バラキレフの《イスラメイ幻想曲》を凌駕する技術を要する曲を書く」と宣言して書いた音楽である. ラヴェルは, 何かを作曲するにあたって, 技術的な課題をみずから設定して確実に実行するという姿勢を好んだらしい. この作品にはそのような彼の作曲姿勢が如実に表れている. 私も学生時代にこの曲でピアノのレッスンを受けたことがあるが, ある程度弾けるようになるまでに他の曲の3倍ほどの時間を要したことを憶えている.
 
 ここで肝要なことは, ラヴェルの作品で要求される高度な演奏技法は, リストの作品におけるそれとはまったく質が異なるという点である. リストの場合は故意にねつ造したかのような超絶技法がかえって音楽全体の性格をゆがめてしまっているのに対し, ラヴェルの場合は
その超絶技法が音楽的内容を豊かにするために必要不可欠なものであり, 芸術面と技術面とがみごとに結晶化しているのである. この意味において,《夜のガスパール》は彼のピアノ作品の中でも頂点に位置する傑作と言えよう.
 
 この曲以降, 彼のピアノ作品は, 印象主義の雰囲気をもつ優美で華麗な響きを徐々に失っていくことになる. この年, ラヴェルは最愛の父ジョゼフを失ったのであった…….
 

 
歌劇《スペインの時》 L'heure espagnole  1909
 その翌年, ラヴェルは彼のスペイン趣味を集結させて一幕のオペラ《スペインの時》を完成させた. 時計屋の美しい女房に想いを寄せる男達が繰り広げる風刺的喜劇で, 1907年に上演されたフラン=ノアン(Franc-Nohain, 1872-1934)の同名の芝居に基いている. その影響か, このオペラは歌の大部分が語るように作られており, 演劇を思わせる自然な対話が随所に見られる.
 
 劇は21場からなり, 全曲が途切れることなく流れるように進む. 他愛ない内容ながらも音楽がすばらしい上, 細部まで緻密に書かれた斬新なスコアにも感心させられる. 冒頭部から3種類の時計が時を刻み, ホルンのゲシュトップ奏法のソロやサリュソフォンのリードによるグリッサンドなども耳を引く. 第15場に見られる弦楽器の自然ハーモニクスによるグリッサンド (デュラン社版のスコア pp.118-122) の手法は, 同種のものが現れるストラヴィンスキーのバレエ《火の鳥》(1910年初演) に先んじている! 終幕における五声によるア・カペラのトリルなども聴きどころであろう.
 
 この作品は劇場側の事情によりなかなか上演されず, 1911年になってからジュール・マスネ (Jules Massenet, 1842-1912) のオペラ《テレーズ》と同日に初演された. 一般聴衆には好評であったが, なぜか批評家たちの間では不評を買ったという.
 

 
トリパトス Tripatos  1909
 歌曲《トリパトス》は,《5つのギリシャ民謡》の委嘱者である歌手のマルグリット・ババイアン (Marguerite Babaïan, 1874-1968) が, もう1曲ギリシャ民謡の歌を追加委嘱したことから作曲された. 歌詞は, 前作と同様, カルヴォコレッシの訳詩によっている.
 
 この曲は元来は踊りを伴う歌であり, 女性の踊り手が3歩前進して3歩後退してから一回りするというのが標題のゆえんらしい.「太陽に晒されたことのない手を医者はどう扱うの?」と緩やかにレシタティーフ的に歌う冒頭部と,「生活向きでない手をしているのはなぜ?」という
軽快なテンポで地中海情緒ゆたかに歌う主要部からなる, 気品ある小曲である. 後半部の "Tralilila……" は踊りのかけ声を表し, 変ロ音を基音とする単純な和声とリズムを執拗に繰り返す中, しだいにテンポを速めた興奮状態に向かって突如として曲を終える.
 
 演奏時間にしてわずか2分たらずの作品である. ラヴェルが委嘱を快諾して直ちに完成させた点から判断して, 彼自身, 作曲を楽しみつつ筆を進めたのであろう.
 

 
ハイドンの名によるメヌエット Menuet sur le nom d'Haydn  1909
 前年に父親を亡くしたラヴェルは, 落胆のあまり仕事がほとんど手につかない状態だったようであるが, この年には, ピアノ小品《ハイドンの名によるメヌエット》も作曲されている. これは, 当時の独立音楽協会 (SMI=Société musicale indépendante) の機関紙が, ヨーゼフ・ハイドン (Franz Joseph Haydn, 1732-1809) の没後百年を記念して, ドビュッシー, ラヴェル, ダンディー (Vincent d'Indy, 1851-1931), デュカス (Paul Dukas, 1865-1935), アーン (前出), シャルル=マリー・ヴィドール (Charles-Marie Widor, 1844-1937) の6人に新作を委嘱したことを契機に作曲された.
 
 メヌエットの
主題は, H, A, Y, D, N のつづりをドイツ音名に置き換えた音から構成されており, 彼はこの主題を倒立させたり反進行させたりしてさまざまな工夫を施している. 曲はきわめて短いが, 優雅でエスプリに富んだ逸品である.
 
 ちなみに, 他の5人の作曲家は, 順に, ワルツ, メヌエット, プレリュード, ヴァリエーション, フーガを書いた. 6曲中唯一, 冒頭部に主題が現れないドビュッシーの《ハイドン礼讃》も, 気品のあるしゃれた音楽である.
 

 
民謡集 Chants populaires 1910
 その翌年には,《スペインの歌》,《フランスの歌》,《イタリアの歌》,《ヘブライの歌》,《スコットランドの歌》の5曲からなる《民謡集》が書かれた. これは, 最後の5曲目を除いてモスクワの「歌の家」歌曲コンクールのために書かれたもので, 4曲とも受賞した作品である. いずれも, 各国の民謡の特徴を巧みにとらえており, 彼の得意とする条件を課した作曲, また異国情緒的な雰囲気を存分に発揮している曲集である.
 
 《
フランスの歌》は, 異国趣味に欠ける唯一の歌であるが, 通俗的な旋律に軽妙洒脱な和声を施した, 印象的な美しい小品に仕上げている. ハ長調という調性に加え, 曲中における臨時記号が一つも存在しない (ピアノの白鍵のみで演奏できる) のは, 彼の全作品の中で唯一のものであろう.
 

 
高雅で感傷的なワルツ Valses nobles et sentimentales  1911
 翌年, フォーレの弟子を中心とする SMI (前出) において, 作曲者の名を伏せて作品を発表し, その作曲者名を当てるという「匿名演奏会」が開催された. そこで初演された《高雅で感傷的なワルツ》の作曲者を推察した者は半数程度であったらしい. 最初はこの曲に対して批判的な者が多かったようであるが, ラヴェルの作品であることが後で判明すると, にわかにこれを称賛しはじめる者が増えたという. ラヴェルはこの事実を皮肉な微笑をもって受け入れたのであろう. 彼は, この曲を「シューベルト(Franz Schubert, 1797-1898)を模倣して書いた」と述べている. しかし, これは内容ではなく, 単に題名の模倣を意味しているにすぎないであろう (シューベルトには《感傷的なワルツ》(1825) と《高雅なワルツ》(1827) の2作品がある).
 
 曲は, ごく短い8曲からなり,
ジャズ的な要素も採り入れた斬新で前衛的な音楽である. 私自身は, この曲のすばらしさを理解できるようになるまでにいくらかの期間を要した. 楽譜の冒頭には,《水の戯れ》と同様, レニエの詩句が引用されている.「無益な仕事の, 日々新たなるこの上ない愉しみ (Le plaisir délicieux et toujours nouveau d'une occupation inutile)」という, いかにもラヴェルらしいエスプリに富んだ修辞句である. この曲の前衛性は和声において顕著に見られる. 半音階的進行に基づく有機的な和声構成で, 不合理な不協和音は一切存在しない. 特に, 第1曲, 第4曲, 第5曲, 第6曲は, ラヴェルならではの独得の個性が光っている.
 
 なお, 翌年には, ラヴェル自身の筋書きに基づくバレエ音楽《アデライド, または花言葉》(The Valses nobles et sentimentales, 1912) として, この曲の管弦楽版が書かれた. 優れた管弦楽法によってこの曲に新たな命が吹き込まれたことは言うまでもない. 特に, 第3曲の優雅さは原曲にもまして美しいものになっている.
 

 
バレエ《ダフニスとクロエ》 Daphnis et Chloé  1912
 同年, ロシア・バレエ団バレエ・リュッス (Ballets Russes) の主宰セルゲイ・ディアギレフ (Sergei Diaghilev, 1872-1929) の委嘱作品《ダフニスとクロエ》が完成された. このバレエは, 2世紀末に書かれたロンゴス (Longus, 2~3世紀頃) の古代小説《ダフニスとクロエにまつわる牧人風のレスボスの物語》第4巻をテキストにしている. 音楽は, この叙情にあふれた物語にふさわしく, きわめて色彩豊かで繊細なものである.
 
 ラヴェルは,『自伝的素描』において,「擬古趣味ではなく音楽の巨大な壁画を目指した」と述べた (彼自身はこの曲を「舞踊交響曲」と称している).「厳格な調の設定とわずかな動機」をもって, きわめて壮大かつ絢爛たる交響音楽を書き上げたのである. 彼は相当に慎重に筆を運び, 終曲だけで実に1年間も費やしたという. 実際, その
精緻で豪華なオーケストレーションや強烈なリズム, ことに叙情的な旋律と繊細な和声は, 何度聴いても聴く者をとらえて離さないすばらしい魅力を備えている.
 
 しかし, この曲を初演にこぎつけるまでには, ディアギレフとラヴェルとの間でさまざまな衝突が生じたらしい. たとえば, この曲に用いられている合唱に対して, ディアギレフは経済的な浪費であると主張した. もちろん, 合唱を含めた方が格段に演奏効果が高まることは疑いのない事実であり, 最終的にはラヴェルの計画通りに合唱が用いられたのであるが…….
 
 バレエは三部構成で, 第一部の舞台はパンの神とニンフの祭壇前, 第二部の舞台は海賊ブリュアクシスの陣営, そして第三部の舞台は神の国の森となっている (第三部は「第2組曲」として特に広く知られている). 全曲を通していくつかのライトモチーフ的な主題がちりばめられ, それが音楽全体に統一感をもたせているのである.
 
 それらの
音楽的素材のすばらしさもさることながら, その巧みなオーケストレーションは誰にもまねできないレヴェルのものである. スコアを検討すれば, 和声や管弦楽法が緻密に計算されているのが理解されよう. 諸井誠氏はこの曲を「ラヴェルの最高傑作」と称している (文献 [10]) のであるが, 実際のところ, 今世紀の全管弦楽作品における最高傑作と言ってよいであろう. バレエとして上演される機会はまれであるが, 管弦楽作品としては現在でも多くのオーケストラのレパートリーとして定着している.
 

 
ステファヌ・マラルメの3つの詩 Trois poèmes de Stéphane Mallarmé  1913
 このロシア・バレエ団との仕事を契機として, ラヴェルは, ストラヴィンスキーやアーノルト・シェーンベルク (Arnold Schönberg, 1874-1951) の音楽を知り, ショックを受けたという. しかし, 彼は独自の作風を見失うことなく《ステファヌ・マラルメの3つの詩》を完成させた. これは, ラヴェルの全歌曲の中でも最も霊感にあふれ, 幻想的な色彩感に覆われた傑作である. 複雑な記譜法によって調性がきわめて曖昧にされているが, 弦楽器のハーモニクスや木管楽器の点描的な動きが音楽全体に優れた調和をもたらしていて, 大変に新鮮な印象を与える.
 
 曲は,《ため息》,《むなしい願い》,《もろいガラスの壺の》の3曲からなる. フルート2本 (うち1本はピッコロ持ち替え) とクラリネット2本 (うち1本はバスクラリネット持ち替え), 弦楽四重およびピアノという一風変わった編成は,『素描』によれば, シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》(1912) の影響であるという. 歌唱はこれらの同音の支えをもたないため, 記譜通りに歌うのは容易ではない. 全曲を通じて彼らしい独特のハーモニーが際立った個性的な傑作と言えよう.
 

 
……風に À la manière de...  1913
 また, 同年には, ピアノ曲《……風に》と『前奏曲』が書かれた.
 
 《……風に》は, ボロディンとシャブリエの作風を模倣した2曲からなり, おのおのがその特徴をよく表している. これは, SMI (前出) において活躍していた作曲家アルフレード・カゼッラ (Alfredo Casella, 1883-1947) の意向を受けて作曲され, 彼自身の演奏で初演された.「
自己の仕事を身に付けるのに, 他者の仕事を模倣するにまさるものはない」(文献 [8]) と主張するラヴェルにとって, 他の作曲家の作風を模倣するという趣向は, 彼が最も得意としたところであったらしい.
 
 この曲は,『前奏曲』や『ハイドンの名によるメヌエット』と並んでラヴェルのピアノ作品の中では比較的演奏しやすい作品であり, 私自身, 疲れを癒す音楽としてこれらの作品をよく弾く. 特に,《ボロディン風に》は, ややテンポの速い変ニ長調のワルツで半音階進行を駆使した叙情性豊かな和声をもっており, ロシア的な朴訥な雰囲気と優雅で洗練された趣が聴く者の心を強くとらえるであろう.
 

 
前奏曲 Prélude  1913
 『前奏曲』は, パリ音楽院の初見演奏用の課題曲として作曲されたもので, わずか27小節, 演奏時間にして1分程度の小品である. もの悲しげで落ち着いた詩情が漂う逸品であるが, 初見で演奏するにはやや高度な技量を要する. 実際に弾いてみると, 臨時記号を含むやや屈折した和声進行や不協和音と両手の交差を含む複雑な運指に, 弾きづらさを感ずるのである.
 
 イ音を主音とするドリア旋法で構成される音楽であるが, 4小節目や6小節の3拍目には早くもラヴェル特有の不協和音が現れる. 10小節目から15小節目までは, 右手によるオクターヴ音域の中に左手による三度の和音が含まれ, 16小節目には突然の転調, 17小節目の和声もラヴェル独得の不協和音が登場する. もちろん, 複数回にわたって練習できるならば, ラヴェルの他のピアノ曲に比べて特に難しいというわけではないのであるが…….
 
 この曲は, 実際の初見演奏でラヴェルから絶賛された当時15歳のジャンヌ・ルルー (Jeanne Leleu, 1898-1979) に献呈された. 彼女は後にローマ大賞を受賞し, 作曲家として活躍することになる.
 

 
2つのヘブライの歌 Deux mélodies hébraiques  1914
 その翌年に書かれた『2つのヘブライの歌』は, ヘブライの伝統的な旋律をもとに和声づけを施したものであるが, ユダヤ的気質を表現したその作曲技法はきわめて優れている. 彼において特徴的である異国趣味も, 要するにその国独得の曲調を模倣するのであるから, このような趣向は彼にとっては何の困難もなかった (むしろこのような課題を楽しんだ) ことであろう.
 
 曲は,《頌栄の祈り》と《永遠の謎》の2曲からなる. 前者は, アラムのユダヤ典礼をテクストにしたメリスマであり, ピアノ伴奏はト音を持続音とするト短調の下降音型 (カタバシス) で葬送の音楽を表し, 後者は, ユダヤ民謡のテクストにピアノのオスティナートを施したきわめて瞑想的な雰囲気を表出している.
 

 
ピアノ三重奏曲 イ短調 Trio avec piano 1914
 さらにその翌年, ラヴェルは母親の故郷であるバスク地方の旋律に基づく『ピアノ三重奏曲 イ短調』を書き上げた. あたかも第一次世界大戦が勃発しており, 戦地へ赴く前に遺作を仕上げる心がまえで作曲したという.
 
 虚弱体質であった彼は, 一旦は軍当局から従軍を免除されていたのであるが, 次々に戦地へ向かう友人を見て彼自身も再度従軍の意思がある旨を申し出たらしい. そのような状況のもと, 作曲はきわめて急速に進められた. ラヴェルは友人あての手紙に「5週間で5ヶ月分の仕事をした」と書いている. それゆえ, この作品は, 彼自身の音楽的生涯の総決算であると同時に, 戦争という非日常的な状況における, 緊張感, 陰鬱さ, 郷愁性などを, 如実に反映させたものになっているのである.
 
 作曲技法の点から見ると, 前作の室内楽曲『弦楽四重奏曲 ヘ長調』と比較して,
楽曲構成は堅固で和声も洗練されており, 音楽には深い内省的要素が含まれている. 円熟期の燦然たる作品と言えよう.
 
 スコアを検討すれば, リズムや和声において1小節1小節がきわめて丹念に書かれていることが理解されるであろう. 全楽章を通じて見られる豪華な絢爛さは, ラヴェルが全精力を傾けて書いた作品にふさわしい. 当初はピアノ協奏曲として構想されていたこともあって, ピアノパートに用いられた書法は特に技巧的かつ重厚である. 特に, 第2楽章に見られる
熟達したピアノ書法や繊細で緻密に構成された和声には, 心底から感嘆させられる.
 
 この曲は, 恩師ジェダルジュに献呈された.
 

 
3つの歌 Trois chansons pour chœur mixte a cappella  1915
 また, 彼の作品中唯一の無伴奏合唱曲『3つの歌』は, 単純かつ簡潔な書法をもって書かれたラヴェル独得のユーモアにあふれた作品である.
 
 曲は,《ニコレット》,《3羽の美しき極楽鳥》,《ロンド》の3曲からなり, いずれもラヴェル自身の作詩による. おとぎ風でありながら少々ニヒルな印象を与える詩に, 古風であるが郷愁性の豊かな和声が施されており, いくたび聴いても飽きない. しかし, 残念ながら, 現時点においてはほとんど演奏される機会がなく, 彼の作品中でも知名度は極度に低い位置に留まっている.
 
 第一次世界大戦の影はラヴェルの作風にも少なくぬ影響を及ぼすことになった. すなわち, 冒頭にも述べたように, これ以後の彼の作品はいわゆる後半期に属するものであり, これまでのような華麗で幻想的なみずみずしさが姿を消し, 陰鬱で乾燥した, しかし, より理知的なものへと変化していくことになるのである. また, 彼自身は
友人を大戦で失い, 最愛の母親をも失うことで, 極度の不眠症にかかってしまった. つねに笑いをたたえていた彼の顔からはそれが消え, しだいに不安と嫌悪と孤独の表情に変化していくことになる.
 

 
§4.後期の作品 Late Period Works 1917-1927
クープランの墓 Le Tombeau de Couperin 1917
 戦死した友人たちに捧げられたピアノ組曲《クープランの墓》では, フランソワ・クープラン (François Couperin, 1668-1733) の時代におけるフランス古典様式を用いて, ラヴェル自身の心の深奥部に潜む感情を抑制しつつ表出している. 悲哀や追悼の情をあからさまに出さない, いわば表現すべきものを故意に隠蔽したレクイエムと言えよう.
 
 ラヴェルの作品に特徴的な擬古趣味的傾向は, この作品において頂点をなすと言ってよい. 彼自身,『素描』において,「クープランだけというよりも18世紀フランス音楽全般へのオマージュ」と述べている.
古典的形式を踏襲しつつ, 新たな装填と生命とを充分に吹き込んだ独創性はきわめて明確である.
 
 曲は『前奏曲』,『フーガ』,『フォルラーヌ』,『リゴドン』,『メヌエット』,『トッカータ』の6曲から構成され, おのおのがラヴェルの異なる友人たちに献呈されている. いずれも独得の音楽的個性をもち, 特に『フォルラーヌ』に見られる和声進行はラヴェルの他の作品には見られない斬新さがある.『トッカータ』の楽曲構成も非の打ちどころがなく, 感情の抑揚が緻密に計算された密度および完成度の高い作品と言えよう.
 
 なお, この曲もラヴェル自身の編曲による管弦楽版 (ただし『フーガ』と『トッカータ』を除く) が存在する. ここでは, 管楽器によって描き分けられる個々のフレーズが印象的であり, その卓越した管弦楽法にはやはり大いに感心させられる.
 

 
口絵  Frontispice 1918
 2台のピアノと5本の手のためのピアノ曲《口絵》は, 即興性の強い幻想的な作品である. イタリアの詩人リッチョット・カヌド (Ricciotto Canudo, 1877-1923) の委嘱で作曲され, 楽譜は小さな季刊誌の題扉として掲載されたという.
 
 8分の15拍子の緩やかなテンポで静かに始まるわずか15小節の音楽で, 最初の10小節は, 5本の手がそれぞれ単純なリズムによるモチーフを執拗に反復しながらクレッシェンドする. 各モチーフに関連性は見られない. 最後の5小節で音楽は突如として静寂に包まれ, 冒頭のモチーフにもとづく単純な三和音を4分音符で連ねて再度クレッシェンドし, 最後の小節で唐突な最弱奏があらわれ疑問符を打つように消えるのである. 楽譜上は5本の手 (3人の奏者) を指定してはいないが, 各モチーフの音域からみて5本の手を要求していると見てよい. もちろん, ピアノ1台をもって奏者2人で連弾することも不可能ではないが……. 音楽的にも演奏上の点からも興味深い作品である.
 
 晩年の2曲のピアノ協奏曲を別とすれば,
ラヴェルのピアノ作品はこれが最後となる.
 

 
ドビュッシーの墓  Le Tombeau de Claude Debussy 1920
 音楽雑誌『ルヴュ・ミュジカル』(La Revue Musicale) の特別企画「ドビュッシー追悼」(1920年12月)に,「ドビュッシーの墓」という付録があった. ここには, デュカス (前出) の《牧神のはるかな嘆き》, アルベール・ルーセル (Albert Roussel, 1869-1937) の《ミューズの歓待》, ベラ・バルトーク (Bartók Béla, 1881-1945) の『ハンガリー農民の歌による即興曲 第7番』, ストラヴィンスキー (前出) の《ドビュッシーに捧げる木管楽器のための交響曲からの抜粋》などのピアノ曲の楽譜が掲載されたという.
 
 ラヴェルは, 同誌のために『二重奏』というヴァイオリンとチェロのための室内楽曲を作曲した. これは, 後述する
『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』の第1楽章にほかならない. ドビュッシーの作風とは相当にかけ離れたこの作品が, いかなる意味で「ドビュッシー追悼」になりうるのか, 興味ある問題であろう.
 

 
ラ・ヴァルス  La Valse 1920
 管弦楽のための舞踊詩『ラ・ヴァルス』は, ワルツを好んだラヴェルがウィンナワルツの一種の礼賛として書いた作品である. 彼がワルツによるバレエを書く決心をしたのは1906年前後であった (当初は交響詩《ウィーン》として構想されたらしい). ディアギレフは, 1920年のロシアバレエ団の公演用にこの曲を舞踊形式で管弦楽化させることをラヴェルに依頼した. しかし, 実際に仕上がった曲に対し, ディアギレフが難色を示して上演を拒んだため, 二人のその後の関係に大きな溝が生じることとなった. とはいえ, 管弦楽曲としてのこの曲の初演が大成功をおさめたことに鑑みれば, ディアギレフの判断が誤りであったことは疑いがない.
 
 スコアの冒頭には,「うず巻く雲が切れはじめると, ワルツを踊る人々が垣間見える. 雲はしだいに晴れ, 旋回する大勢の者で埋まった大広間があらわになると, 舞台は明るくなり, シャンデリアの光がフォルテッシモで響きわたる. 1855年頃の宮廷.」という謎めいた記述がある.
 
 スコアはきめ細かく繊細に仕上げられており, 至るところに
ラヴェルの巧妙な管弦楽法を見いだすことができる. 弦楽器のグリッサンドを含む半音階的和声進行, ハープと木管楽器のアルペッジョによる水泡効果 (RM 49冒頭), フルートとホルンによる籠音効果, 鍵盤打楽器と弦楽器のハーモニクスによる射光効果 (RM 50冒頭) 等々, そのオーケストレーションはすばらしい出来ばえである. 全曲を通じて一ヶ所だけ奏されるクロテイル (RM 43冒頭) も大変に効果的と言えよう. ウィンナワルツのもつ華やかさの一方で不安を誘うような暗い陰翳が曲全体を支配しており, 曲の興奮が頂点に向かうにしたがって徐々に破壊的な方向へと突き進んでいく. 第一次世界大戦の影響と母親を亡くしたラヴェルの個人的心境がにじみ出た作品である.
 

 
フォーレの名による子守歌 Berceuse sur le nom de Gabriel Fauré 1922
 また, この時期には室内楽曲がいくつか書かれている.
 
 ヴァイオリンとピアノのための『フォーレの名による子守歌』は, 前作『ハイドンの名によるメヌエット』と同様, Gabriel Fauré を一文字ずつドイツ音名におきかえたものを主題としている. 叙情的で穏やかな小品であり, 師フォーレに対するラヴェルの想いが窺える. これも SMI における特集企画のために書かれたものであり, 例によって,
課題の困難をものともせずむしろ課題の存在を喜ぶかのように処理するラヴェルの手腕が垣間みえる作品である.
 
 『口絵』と同様, この曲も彼の他の作品には見られない特徴がある. ト長調, 4分の2拍子 で, テンポの指定やテンポの変化は一切なく, 音量指定は終始弱音のままである. そこで用いられる音符は3種類, すなわち, 2分音符, 4分音符, 8分音符のみ. 音楽的な起伏や変化はまったく見られない. 彼らしい部分と言えば, その洗練された斬新な不協和音くらいであろうか.
 

 
ヴァイオリンとチェロのためのソナタ Sonate pour violon et violoncelle 1922
 同年に書かれた『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』は, ラヴェルの室内楽作品の中ではもっとも前衛的であろう. この2つの楽器に対位法的な役割をあたえ, 故意に硬質で鋭敏な響きを創るように書かれている. ラヴェル自身,『素描』において「このソナタは, 私の生涯の進展に転回をもたらすものと思う. 極度に押し進められた形で, むき出しの音楽になっている. 和声の魅力の放棄, 旋律の感覚にきわ立つ反動」と述べているのである.
 
 耳ざわりな軋轢を生むような乾いた和声 (複調, ときには無調をも含む) と, バルトークを想わせるような民族音楽的な旋律が特徴的である. 前半期のような幻想的で優雅な響きがすでに失われてしまったことを感じた聴衆は, この曲の初演に際して少なからぬとまどいを見せたらしい.けれども, 変化をつけることが困難と思われるこの編成をもって, ハーモニクスや重音奏法 (特に, 第 2 楽章の最後に現れるチェロの重音ピッツィカートによるグリッサンドは大変に印象的である) などを多分に採り入れた幅の広い表現力に鑑みると, 相当に聴きごたえのある音楽と言えよう.
 
 作曲に際して, ラヴェルは,
ヴァイオリニストのジョルダン・モランジュ (Hélène Jourdan-Morhange, 1892-1961) とチェリストのモリス・マレシャル (Maurice Maréchal, 1892-1964) に試奏させながら楽器法を研究したという. 実際, この曲の初演はこの2人によっている.
 

 
ツィガーヌ Tzigane 1924
 ラヴェルはさらに, ヴァイオリンとピアノのための演奏会用狂詩曲『ツィガーヌ』においても,『夜のガスパール』で超絶技巧を要求したのと同様, ヴァイオリンの超絶技巧を要求している. 友人であるヴァイオリニストのジェリー・ダラニー (Jelly d'Aranyi, 1893-1966) に, ニコロ・パガニーニ (Nicoló Paganini, 1782-1840) の難曲『24の奇想曲』を弾かせ, これよりも難度の上回る曲をめざして書いたらしい.
 
 Tzigane とはジプシーを意味する語句であり, ハンガリーの民族舞曲チャルダッシュの雰囲気を表出すべく, 増二度をもつジプシー音階や前打音が用いられている. 技巧的にも, トリル, 左手によるピッツィカート, さまざなハーモニクスなど, 高度な技法が多い.
 
 なお, ピアノパートは,
ピアノリュテアルという, いわゆるプリペアードピアノの前身のような楽器が要求されているのであるが, 実際は通常のピアノでも演奏可能である. ラヴェル自身の編曲による管弦楽版においては, ピアノのアルペジオ部分の代役をハープが務めることになる. 前半はヴァイオリン独奏のカデンツァで聴くを酔わせ, 後半は華麗な技巧で聴く者を圧倒するという, 絶妙な工夫が施された傑作である.
 

 
ロンサールここに眠る Ronsard à son âme 1924
 ラヴェルは歌曲『ロンサールここに眠る』は, 雑誌『ルヴュ・ミュジカル』が16世紀の詩人ピエール・ド・ロンサール (Pierre de Ronsard, 1525-1585) の生誕四百年を記念して企画した特集号のために書かれた. 詩は自己の魂に呼びかけるように書かれており, この世の俗事を忘却して死者たちの王国で私は眠る, といった内容をもつ.
 
 この曲につけたラヴェルのピアノ伴奏は大変に奇抜であった.
嬰ハ音を主音とするドリア旋法を用い, 中世音楽における多声書法, 併行オルガヌムを用いて, ピアノの右手のみで延々と併行五度を続けていくのである. 再現部からはこれに左手も単音で加わるが, 音楽的には特に豊饒性が増すわけではない. 最終小節まで嬰ハ短調を基調としているにもかかわらず, 最後の2つの和音はこの調性を崩す特異なもので, その響きは聴く者の意表を突く. 単純ではあるが, この詩のもつ瞑想性をみごとに表現している作品である.
 

 
歌劇《子供と魔法》 L'enfant et les sortilèges 1924
 「二部構成による誌的幻想」として作曲されたオペラ《子供と魔法》は, 女流作家シドニー=ガブリエル・コレット (Sidonie-Gabrielle Colette, 1873-1954) の童話に基づく作品である. 演奏時間にして1時間足らず, いたずら好きの子供と魔法にかかった家具や小動物たちとの応酬と和解が描かれる. この曲における音楽的描写力は《ダフニスとクロエ》に優るとも劣らない. 全曲を通じて, 子供を飽きさせない工夫が随所に施されている.
 
 家具や食器に台詞をしゃべらせ, 火に言葉を与えて子供を脅かしたり, 数字たちに言葉を与えてデタラメな算術計算で子供を混乱させたり, メッゾ・ソプラノとバリトンの二重唱で猫の鳴き声をまねたり, フルートによる梟やピッコロによる小鳥の鳴き声, 混声合唱によるカエルたちの鳴き声など……. アルテュール・オネゲル (Arthur Honegger, 1892-1955) は,「
ラヴェルの目的は猫の鳴き声のまねではなく, 鳴き声から旋律の流れを創る擬音音楽にある」と述べている (文献 [3]). この曲は初演時から好評を博したらしく,《ラ・ヴァルス》事件以来, 不仲になっていたディアギレフでさえも, ラヴェルとの交友の復活を図ったほどであった (しかし, ラヴェルはこれを拒否したようであるが……).
 
 ラヴェルは『素描』において,「
この作品で優位に立つのは歌であり, 管弦楽は二次的なものに留まっている」と謙遜しているが, デュラン社版のスコアを見ると, その卓越した管弦楽法に驚嘆させられるのである. コントラバスのハーモニクスによるソロ (RM 1) やピアノリュテアル (RM 17), ミュート付きチューバのソロ (RM 28) やクラリネットによるフラッター (RM 74), テノール独唱による鼻をつまみながらのファルセット (RM 80, 110) や巻き舌のソプラノ合唱 (RM 110) など, 風変わりな音色や奏法が効果的に用いられる.
 
 高音部譜表を用いたトロンボーンのソロ (RM 33-34),《魔笛》における夜の女王のアリアに匹敵する高音 (3点ヘ音) を用いたソプラノ独唱 (RM 111) などの奏者への超絶技巧の要求, 複調 (RM 9-13, 57, 145など) や斬新な不協和音による独得の和声, ラグタイムやフォックストロットのようなジャズの要素も豊富である.
 
 ラヴェル独特の和声と管弦楽法は, 他にも随所に現れる. ラヴェルには無調音楽を書く意図はなかったであろうが, たとえば, 安楽椅子と肘掛椅子の会話 (RM 17-27) においては, 歌というよりもまさに会話であり, 調号で指定されているト短調の和音はほとんど聴き取れない. デタラメな算術のくだり (RM 75-94) の後半部も同様である. 一方, 子供のアリア「君はバラの心を……」(RM 73-74) では, 臨時記号をまったく用いない純粋で美しい和声を響かせる. また, 複調を用いた小クラリネットのソロが現れる「羊飼いたちの歌」の間奏部 (RM 57) や, 猫の二重唱から庭の場面 (RM.97-101) には,
ラヴェルの優れた管弦楽技法の腕前が遺憾なく発揮されている.
 

 
マダガスカル島民の歌 Chansons madécasses 1926
 音楽好きのアメリカ人富豪エリザベス・クーリッジ夫人 (Elizabeth Coolidge, 1864-1953) の委嘱で書かれた『マダガスカル島民の歌』は, ラヴェルの歌曲の中では最も前衛的な響きを聴かせる作品である. エヴァリスト・ドゥ・パルニ (Évariste de Parny,1753-1814) がマダガスカル島の歌を仏語訳した詩はラヴェル自身が選んだものであるが, フルート, ピアノ, チェロ, 歌という風変わりな楽器編成はクーリッジ夫人の指定によるものである.
 
 曲は,『ナアンドーヴ』(Nahandove),『アウァ!』(Aoua!),『楽しい憩い』(Il est doux) の3曲からなる. いずれも島民の生の感情をむき出しに表現しており, それらに対する音楽の呼応は大変にすばらしい. ラヴェルがここまで劇的に感情を表出した曲が他に存在したであろうか. 例によって, 彼自身に無調音楽を書く意図はなかったにしても, 複調を通り越して調性が破壊されている部分も多く,『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』と同様, きわめて簡素で乾いた響きをもっている. とはいえ, 不協和音は充分に洗練されており, ときには協和音よりも協和的に聞こえるであろう.
 
 
完成度と芸術性の両面から見て, この作品はラヴェルの歌曲の中でもとりわけ優れた作品であると言えよう. 彼自身, この曲の成功を自負し, これを自作品の中でも特に優れたものの一つと見なしていたようである.『素描』において彼は,「声が主役の楽器となる四重奏であり, 単純さの中に諸部分の独立性が明確化している」と述べている. 声を楽器として扱う手法は, やはりシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》の影響であろうか.
 

 
ヴァイオリン・ソナタ ト長調 Sonate pour violon et piano 1927
 この頃から, ヨーロッパ各地のみならずアメリカへの演奏旅行も加わり, ラヴェルの名は世界に広く知られるところとなっていく. 一方, 作曲は徐々に停滞を見せ, 思うように進展しないという状況が続くことになるのである.
 
 多忙な生活の中, 4年ごしの創作となった円熟期の傑作『ヴァイオリン・ソナタ ト長調』が完成した. ラヴェルはこの作品において, ヴァイオリンとピアノという2つの異質な音質のアンサンブルがもたらす不協和性を故意に強調する効果をねらっている. 第1楽章の冒頭部において, ト長調で主題を奏でるピアノに対し, ヴァイオリンはこれとはまったく異なる調で主題を奏しはじめるのである. ジャズの影響が色濃い第2楽章のブルースもこの作品を特徴づけるものであろう.
ソナタという古典的な形式を踏襲しつつも, その規範的な枠組に拘泥せず, 種々の実験的要素が盛り込まれているのである. 第3楽章は, 第1楽章と酷似しているという理由で書き直されたという (文献 [6]). 破棄された楽譜には大いに興味を感ずるが, 今となっては知る由もない.
 
 後半期において特徴的なきわめて簡素で乾いた響きは, この曲において最も著しいと言えよう. 対位法的な旋律の扱いが, 音楽評論家吉田秀和氏の言葉を借りれば「
宙につり下げられた針金細工」のように聞こえるのである. なお, この曲は, 作曲当初はモランジュの演奏を想定していたようであるが, 実際の初演は, その30年前に作曲された『ヴァイオリン・ソナタ』(1897) の初演と同様, エネスコが担当した.
 

 
バレエ《ジャンヌの扇》ファンファーレ Fanfare, L'éventail de Jeanne 1927
 同年の作品には, バレエ《ジャンヌの扇》の第1曲目「ファンファーレ」がある. これは, ラヴェルを含めた10人の作曲家の合作による一幕物の子供用のバレエである. 他の作曲家による作品は, 曲順に, ピエール=オクターヴ・フェルー (Pierre-Octave Ferroud, 1900-1936) の「行進曲」, ジャック・イベール (Jacques Ibert, 1890-1962) の「ワルツ」, ロラン=マニュエル (Roland-Manuel, 1891-1966) の「カナリー」, マルセル・ドラノワ (Marcel Delannoy, 1898-1962) の「ブーレ」, アルベール・ルーセル (前出) の「サラバンド」, ダリウス・ミヨー (Darius Milhaud, 1892-1974) の「ポルカ」, フランシス・プーランク (Francis Poulenc, 1899-1963) の「パストゥレル」, ジョルジュ・オーリック (Georges Auric, 1899-1983) の「ロンド」, フローラン・シュミット (Florent Schmitt, 1870-1958) の「フィナーレ」である.
 
 ラヴェルは, 1分強という短い楽曲の中にも, スペイン風のきわめてエスプリに富んだおとぎ性の濃いファンファーレにまとめ上げた. スコアに記された「
ヴァーグナー風に (Wagneramente)」という指示は, ラヴェルらしい皮肉を込めたユーモアであろう (ラヴェルはリヒャルト・ヴァーグナー (Richard Wagner, 1813-1883) のような仰々しい音楽を好まなかったという). 小太鼓のトレモロ, ピッコロやミュート付きトランペットのソロで始まるこの『ファンファーレ』は, 言うまでもなく, ヴァーグナーの作風とは似ても似つかないものである.
 

 
夢 Rêves 1927
 また, 歌曲『夢』は, アパッシュ仲間のレオン=ポール・ファルグ (前出) の詩を題材としている. 子供が駆け回る大理石像の周辺で, 脈絡のない不可思議な内容のつぶやきが内にこもった声で高みから降りてくる……. 前半部は単純なヘ長調で曲は進行するが, 「どこかの駅の……」と歌い始める部分から, ラヴェルとしても珍しい特異な不協和音がピアノパートに現れ, ペダルを踏みかえずに繰り返される.「どこか古い夢の中, おぼろの国で束の間のものたちが賢くも死んでゆく」という後半部の後に主題が再現されるが, 不可思議な和声に終始し, 疑問を呈するように曲を終えるのである.
 
 
夢の中の幻想に対し, 繊細な叙情と簡素な筆致をもって気品あふれる逸品に仕上がっている. 現実と夢との二面性を複調をもって表現するという手法にも感心させられる.
 

 
§5.晩年の作品 Last Period Works 1928-1933
バレエ《ボレロ》 Boléro 1928
 その翌年, ラヴェルは, 前衛的な舞踊家であったイダ・ルビンシュタイン (Ida Rubinstein, 1885-1960) からバレエ音楽を委嘱された. しかし, 演奏活動で多忙をきわめたラヴェルは, イサーク・アルベニス (Isaac Albéniz, 1860-1909) のピアノ曲集《イベリア》の中の数曲をバレエ用に編曲すればよいと考え, しばらくの間この仕事に手をつけなかった. ところが, ようやく着手しようとする段になって, この曲の編曲権をエンリケ・フェルナンデス・アルボス (Enrique Fernández Arbós, 1863-1939) が所有していることを知り, 急遽, ラヴェルが作曲したのが『ボレロ』である.
 
 この曲は, 小太鼓が緩やかなボレロのリズムを刻む中, 2つの主題が何の変化もなくひたすら反復され, 15分以上にわたる息の長い一つのクレッシェンドで構成される. ラヴェル自身は,「ひとたび楽想が得られれば, 学生でも同様の曲が作れる」(文献 [3]) と述べているが,
この作品の成功は, 彼の卓越した管弦楽法なしには得られなかったであろう. 種々の楽器を巧妙に組み合わせ, 色彩感豊かな音響空間を創出しているのである. とりわけ, 2本のピッコロ, ホルン, チェレスタによる複調の同時演奏 (RM 8) で表出されるオルガン効果は大変にすばらしい.
 
 『ボレロ』は本来はスペインの舞踊音楽であり, ラヴェルの音楽を特徴づけるスペイン趣味や, ジャズ的要素 (終結部のハーモニーとリズム) のが含まれていることは言うまでもない. しかし, この作品の最大の特徴は,
切り詰めた動機をひたすら反復するというミニマル・ミュージック (Minimal Music) の要素であり, それまで緻密な楽曲構成にこだわってきたラヴェルにしては画期的な転換と言えよう.
 
 ラヴェル自身は, この曲を代表作とする意思は微塵もなく, 単なる習作のつもりで書いたらしい.しかし, 初演は大成功をおさめ, この曲はまたたく間に世界中に知れわたるところとなったわけである.
 

 
左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調 Le Concerto pour la main gauche 1930
 ラヴェルが『素描』を口述したのは『ボレロ』を作曲した年である. 彼はそこで, 以後の予定として,「ピアノ協奏曲」と《ジャンヌ・ダルク》なるオペラをほのめかした (後者は実際には完成されていない). 前者については, 予告どおり『左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調』と『ピアノ協奏曲 ト長調』の2曲が作曲されている.
 
 『左手のための協奏曲』は, 第一次世界大戦で右手を失ったピアニスト, パウル・ヴィトゲンシュタイン (Paul Wittgenstein, 1887-1961) の委嘱によるものである. ヴィトゲンシュタインは, ラヴェルの他にも, リヒャルト・シュトラウス (Richard Strauss, 1864-1949), パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith, 1895-1963), セルゲイ・プロコフィエフ (Sergei Prokofiev, 1891-1953), ベンジャミン・ブリテン (Benjamin Britten, 1913-1976) にも同様の曲を委嘱している.
 
 ラヴェルの作品は単一楽章からなり, 中間部を中心としてジャズの影響が色濃く出ている. 両手のための協奏曲と比較すると, 力強く男性的ではあるが
全体的に陰鬱な情感が支配しているように思われる. それは『ピアノ三重奏曲』や『ラ・ヴァルス』よりも一層はなはだしくなっていると言えよう.
 
 ラヴェルは, この曲において,
両手で弾いているように聴衆に錯覚を起こさせることを意図した. スコアを見ると, オーケストラの重厚さに匹敵しうるように, ピアノパートもかなり重厚な和音で書かれている. それに応じて, 要求される演奏技法も大変に高度であり, ヴィトゲンシュタインは, 初演の際, 自分の演奏能力に合わせて曲の一部を変更して弾かざるを得なかったらしい.「私は老練なピアニストだが楽譜どおりに弾くことは不可能だ」というヴィトゲンシュタインに対し,「私は老練な作曲家だが, 楽譜どおりに演奏することは可能だ」とラヴェルは応酬したという (文献 [5]). ラヴェルの性格の一端が窺えよう.
 

 
ピアノ協奏曲 ト長調 Concerto piano et orchestre 1931
 また, 両手の協奏曲は3楽章からなり, ラヴェル自身が述べている通り, やはりジャズ的な要素が数多くに見られる作品である.当初は, 彼自身が演奏する予定で書かれたようであるが, 健康上 (体力上) の理由から, 実際の初演はマルグリット・ロン (Marguerite Long, 1874-1966) が担当した.
 
 ラヴェルによれば,「
モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791) とサン=サーンス (Camille Saint-Saëns, 1835-1921) の協奏曲の精神で書いた」という.前作の協奏曲と比較すると大変に明快でエスプリに満ちた魅力的な作品である.しかし, この曲の作曲は困難をきわめたようである.実際, 左手の協奏曲よりも以前に着手されたにもかかわらず, 完成はこの曲の方が後であった.不眠症が悪化していた時期であったのであるが, さらに睡眠量を減じて仕事に没頭したという.彼が全精力を傾けて作曲したにふさわしく, 彼らしい斬新さと精密さがいたるところに散りばめられている.今日においても多くのピアニストたちがレパートリーとしている傑作である.
 
 この曲は,
ピアノパートに要求される技術はそれほど高くはないが, 管弦楽パートは, 各奏者にきわめて高度な演奏技術を要求される. 第1楽章冒頭のピッコロやミュートつきトランペットのソロ, 中間部のホルンのソロのほか, 第3楽章にも木管楽器にめまぐるしく動くパッセージがある. 一方, 第2楽章に見られる穏やかな叙情性は, 簡素で乾いた響きの多かった後半期にあっては際だった叙情性を誇っている.
 

 
ドゥルシネア姫に想いを寄せるドン・キホーテ  Don Quichotte à Dulcinée 1933
 われわれが耳にできる最後の作品は, 歌曲『ドゥルシネア姫に想いを寄せるドン・キホーテ』である. これは, ある映画会社から, 映画音楽用として依頼された. しかし, この会社はミヨー (Darius Milhaud, 1892-1974), イベール, ファリャにも互いに内密に同様の依頼をしており, 最終的にはイベールの作品を採用したのであった. 不採用の口実としてラヴェルの遅筆を挙げたらしいが, 憤懣やるかたないラヴェルはこの映画会社に対して 75,000 フランの損害賠償請求訴訟を起こしている (第三のラヴェル事件).
 
 結局, 映画音楽にはならなかったものの, ラヴェルはこれをもとに,「ロマネスクな歌」,「叙事的な歌」,「乾杯の歌」の3曲を歌曲にまとめた. いずれも
濃厚なスペイン趣味に彩られた印象深いリズムをもつ曲である. ラヴェル自身による管弦楽版も存在するが, 演奏される機会は多くはない.
 
 これ以降, 没するまでの約5年間, ラヴェルは新作を発表していない. 無論, 楽想が枯渇したわけではない. 身体上の問題によって作曲活動が不可能になってしまったのである. 1932年, ヨーロッパ旅行を終えたラヴェルは,
タクシーに乗っていた際に衝突事故に遭遇した. 軽い脳震盪を起こしたようであるが, 当初は本人も周囲も大したことはないと考えていた. しかし, その影響 (脳疾患の兆候) が徐々に現れはじめ, 転地療養を試みたにもかかわらず, その言動に障害が生ずるようになってきたのである. 筆記すら困難となり作曲不可能という状態にあっても, ラヴェル自身の知覚や感性は正常であったという. 作曲家としてきわめて不幸な境遇であった.
 
 結局, 彼は, 廃人同様の無為な生活を5年間ほど過ごした後, 手術の甲斐もなく享年62歳で逝去した. 事故に遭遇していなければ, さらなる名作が生み出されていたはずであるが, これがラヴェルに課された避けがたい運命であった.
 

 
§6.おわりに
 以上, やや大雑把にではあるが, ラヴェルの作品について年代順に概観してきた. 一般に, 作品というものは作曲家の個性を明確に反映するものであるが, ラヴェルの場合は, それが特に著しい. 彼の音楽にはいくつかの魅力的な特徴が明確に現れているのであるが, 特筆すべきことは, その緻密な構成と洗練された美質の追究であろう. 早期の段階に身につけた独自の書法, すなわち大胆かつ斬新な色彩感に富んだ和声, リズム, オーケストレーションは, 完璧な職人芸と言っても過言ではない.
 
 ラヴェル自身の
人柄は, きわめて誠実で礼儀正しく気品にあふれており, 自然および子供, 猫が非常に好きであったという.彼の人生も, はたから見れば, 緻密に計算され, 大体の場合において順調に進んだように思われる. 無論, 最後の数年間については, 本人の計算外のできごとであったであろう. 音楽評論家の志鳥栄八郎氏の表現を借りれば, 「順調に進んできた『ボレロ』が最後の2小節で突如として崩れ落ちた」ようなものである.
 
 しかし, それ以前のラヴェルは, 優れた審美眼のもち主にふさわしく, 非常にしゃれた外見をもっていた. 綺麗に梳かれた髪, 剃られたばかりの髭, 流行の最先端のよそおい, 磨きあげられた靴, 高価な巻煙草等々…….このような外見への入念なこだわりは, 自分の内面を隠蔽する仮面に相当する意味がこめられていたのかも知れない.
 
 ラヴェルは, 自分の身長の低さを非常に気にしていたらしい. 実際, 彼の容姿を問う彼のファンに対して「大変な大男である」と偽って答えさせたという逸話もある. ここからくる劣等感のせいか, 彼は, 生涯独身であった.外見をいわば人工的に演出する彼の姿勢は, 音楽作品にも如実に反映されている. ストラヴィンスキーがラヴェルを「
スイスの時計職人」と称したことは有名であるが, 一曲一曲を丹念に練り上げていく緻密な作曲姿勢を評してのことであろう.
 
 作品数は少ないものの, 現代における演奏頻度の高さに鑑みるとき, ラヴェルの作品には時代や国境を越えて多くの聴衆を惹きつける魅力的な特徴が備わっていることに疑いはない. 和声的な特徴としては, 親近感の湧く明確な旋律が, ロマン的な長短調の音階ではなく教会旋法が用いられていること, さらには, 旋律は全音階的に進行し, 和声は半音階的に進行する場合が多いことが挙げられよう.
 
 しかし,
多くの聴衆を惹きつける魅力は, このような理論上の特徴ではなく, いくつかの情感的な特徴に求められるであろう. すなわち, 冒頭部に挙げたような, 異国趣味, 擬古趣味, 幻想と怪奇, おとぎ性, ジャズ, 編曲, 制限と模倣, 等々にほかならない. ラヴェルの作品は, そのほとんどがこのような特徴綱目に該当する. もちろん, 複数の特徴を合わせもつ作品も少なくない. 本稿を終えるにあたって, 以下, ラヴェルの作品を特徴項目別に分類しておこうと思う.
 
 まず,
異国趣味に分類される作品については, スペイン趣味と東洋趣味の2種に大別される. 前者としては,『ハバネラ』,《舞姫》,《道化師の朝の歌》,『ハバネラ形式のヴォカリーズ』,《スペイン狂詩曲》,《スペインの時》,『ピアノ三重奏曲』の第1楽章,『ファンファーレ』,『ボレロ』,《ドゥルシネア姫に想いを寄せるドン・キホーテ》などが挙げられ, 後者としては,《恋に死せる女王のためのバラード》,《シェエラザード》(序曲・歌曲の双方),《パゴダの王女レドロネット》,《子供と魔法》の一部, などが挙げられよう. その他, 民族音楽や民謡に関連したものとして,《5つのギリシャ民謡》,《トリパトス》『民謡集』,『2つのヘブライの歌』,『ツィガーヌ』,『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』などがある.
 
 次に,
擬古趣味に分類される作品については, 内容的なものと形式的なものとの二種に大別される. その中でもたとえば,『古風なるメヌエット』,《逝ける王女のためのパヴァヌ》,『クープランの墓』などは両者に属すると言えよう. 個別には, 前者としては,《聖女》,《クレマン・マロの風刺詩》,《ロンサールここに眠る》などが挙げられ, 後者としては, 2つの『ヴァイオリン・ソナタ』,『ソナチネ』,『ピアノ三重奏曲』,『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』, 2つの『ピアノ協奏曲』などが挙げられる.
 
 また,
幻想と怪奇については, 多分に主観が含まれる. 前者は, 美質で高雅な印象派風の音楽を指し, 後者は, 内容や和声において不気味さを感じさせる音楽を指す. 両者の明確な識別は困難であるが,『グロテスクなセレナード』,『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』(1897),《水の戯れ》,『弦楽四重奏曲』,《蛾》,《悲しき鳥》,《鐘の谷》,『序奏とアレグロ』,《夜のガスパール》,《ダフニスとクロエ》,《ステファヌ・マラルメの 3 つの詩》などは, これらのいずれかあるいは両方に属すると思われる.
 
 
おとぎ性については, 内容から見て容易に判断できよう. すなわち,《おもちゃのクリスマス》,《マ・メール・ロワ》,『3つの歌』,《子供と魔法》,『ファンファーレ』といったところであろう. ラヴェルの子供好きという証言を裏づける, きわめて童心にあふれた作品群である.
 
 また,
ジャズに分類されるものとしては,《子供と魔法》の一部,『ヴァイオリン・ソナタ ト長調』,『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』,『ボレロ』のコーダ, 2つの『ピアノ協奏曲』が挙げられよう.
 
 
編曲については, 挙げるまでもないが, 特徴としては, ラヴェルが編曲すると, 原曲と同等あるいはそれ以上に音楽全体が生命を帯びてくる点にある. このことは, モデスト・ムソルグスキー (Modest Petrovich Mussorgsky, 1839-1881) の《展覧会の絵》の編曲を代表例として理解されよう. ラヴェルによる自作曲の編曲はすでに述べた通り, ピアノ曲だけでも,『古風なるメヌエット』,『ハバネラ』,『逝ける王女のためのパヴァーヌ』,《洋上の小舟》,《道化師の朝の歌》,《マ・メール・ロワ》,《高雅で感傷的なワルツ》,《クープランの墓》などがある. また,《ツィガーヌ》のほか, 歌曲にも管弦楽版は少なくない.
 
 最後に
制限と模倣について記しておく. ラヴェルは, 作曲する際に, 何らかの制限や課題を設けることがあった. 他の作曲家の作風を模倣することにも長けており, 実際, そのようにして作曲技法に磨きをかけたらしい. 制限の内容や模倣の形態は異なるにせよ, このような分類に属するものとしては, たとえば,《夜のガスパール》や《ツィガーヌ》(難度の高い演奏技法を要する曲として),《…風に》(他の作曲家の作風の模倣として),《ハイドンの名によるメヌエット》や《フォーレの名による子守歌》(あらかじめ音列を設けるものとして),《左手のためのピアノ協奏曲》(演奏上の条件を設けるものとして) などが挙げられよう.
 
 ――以上, ラヴェルの個人的礼讃として, 彼の作品を年代順に追いながら概観してきた. 本来ならば, 読者への便宜として各曲ごとに推薦するCDの一覧でも挙げておくべきなのであろうが, 本稿においてはその準備がない. いずれ, ラヴェルに関するさらに詳細な論稿を著することになった暁には, 本稿よりもいくらか豊富な内容を加えることができるであろうと思う.
 
文献 References
[1] V.ジャンケレヴィッチ / 福田達夫訳『ラヴェル』白水社, 1970
[2] H.J. モランジュ / V. ペルルミュテール / 前川幸子訳『ラヴェルのピアノ曲』音楽之友社, 1970
[3] G.レオン / 北原道彦, 天羽均訳『ラヴェル』音楽之友社, 1974
[4] H.シュトゥッケンシュミット / 岩淵達治訳『モリス・ラヴェル~その生涯と作品』音楽之友社, 1983
[5] M.ロン / P.ロモニエ / 北原道彦, 藤村久美子訳『ラヴェル~回想のピアノ』音楽之友社, 1985
[6] R.ニコルス / 渋谷和邦訳『ラヴェル~生涯と作品』泰流社, 1987
[7]『新訂 標準音楽辞典』音楽之友社, 1991
[8] A.Orenstein, "Ravel Man and Musician", Dover, 1991
[9]『ラヴェル~作曲別名曲解説ライブラリー 11』音楽之友社, 1993
[10] 諸井誠『わたしのラヴェル』音楽之友社, 1984
[11] デュラン (Durand), サラベール (Salabert) など各社のスコア
("RM" はリハーサルマークを示す)
 
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