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SAKATA MASAHIRO
坂田雅弘 Official Website
作曲 ― 無益な作業ながら日々新たなる極上の愉しみ "…le plaisir délicieux et toujours nouveau d'une occupation"
http://www.ravel.jp/ 

 
続・名曲50選
2004 年 執筆
目次
はじめに
バロック・古典派の音楽
1 ヘンデル 
オラトリオ《メサイア》
2 ハイドン 
オラトリオ《天地創造》
ロマン派の音楽
3 シューベルト 
ドイツ・ミサ曲 ヘ長調
4 ロッシーニ 
歌劇《セビリアの理髪師》
5 ヴァーグナー 
楽劇《トリスタンとイゾルデ》
6 プッチーニ 
歌劇《ラ・ボエーム》
7 R. シュトラウス 
楽劇《サロメ》
8 R. シュトラウス 
楽劇《ばらの騎士》
ロシアの前近代音楽
9 グリンカ 
歌劇《ルスランとリュドミラ》
10 ボロディン 
交響曲 第 2 番 ロ短調
11 バラキレフ 
交響詩《タマーラ》
12 グラズノフ 
交響曲 第 7 番 ヘ長調
13 グラズノフ 
ヴァイオリン協奏曲 イ短調
フランスの前近代音楽
14 ビゼー 
交響曲 第 1 番 ハ長調
15 サン=サーンス 
歌劇《サムソンとダリラ》
16 オネゲル 
クリスマス・カンタータ
17 プーランク 
ピアノ協奏曲
18 メシアン 
トゥランガリラ交響曲
19 デュティユー 
ヴァイオリン協奏曲《夢の樹》
ハンガリーの近代音楽
20 バルトーク 
ピアノ協奏曲 第 2 番
21 バルトーク 
管弦楽のための協奏曲
22 コダーイ 
ハーリ・ヤーノシュ
23 コダーイ 
ミサ・ブレヴィス
イタリアの近代音楽
24 レスピーギ 
交響詩《ローマの松》
25 レスピーギ 
古風な舞曲とアリア
26 レスピーギ 
ボッティチェルリの 3 枚の絵
ドイツ周辺の近代音楽
27 シェーンベルク 
グレの歌
28 ベルク 
ヴァイオリン協奏曲
29 シュレーカー 
室内交響曲
30 ヒンデミット 
交響曲《画家マティス》
31 オルフ 
カルミナ・ブラーナ
32 コルンゴルト 
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
ロシア・東欧の近代音楽
33 ショスタコーヴィチ 
交響曲 第 5 番 ニ短調
34 ペルト 
ヨハネ受難曲
35 グレツキ 
交響曲 第 3 番《悲歌》
36 ルトスワフスキ 
管弦楽のための協奏曲
アメリカと周辺の近現代音楽
37 ヴィラ=ロボス 
交響曲 第 10 番《アメリンディア》
38 チャベス 
交響曲 第 2 番《インディオ》
39 アンダーソン 
ピアノ協奏曲 ハ長調
40 バーバー 
ヴァイオリン協奏曲
41 バーバー 
ピアノ協奏曲
42 ヒナステラ 
協奏的変奏曲
43 J.C. アダムズ 
シェイカー・ループス
44 J.C. アダムズ 
ハーモニウム
イギリスの近現代音楽
45 エルガー 
エニグマ変奏曲
46 ウォルトン 
ヴァイオリン協奏曲
47 ラター 
レクイエム
48 ラター 
子供たちのミサ
日本の現代音楽
49 矢代秋雄 
ピアノ協奏曲
50 平石博一 
回転する時間
おわりに
 

 
はじめに
 本稿は, 10 年前に執筆した拙稿『名曲 50 選』の続編にあたるものである. それゆえ, 本稿の意図および選曲方法や曲種については前稿と何ら変わるところはない. すなわち, ここに挙げる「名曲」についても所詮は私自身が今までに聴いた(ごく狭い範囲の)曲たちの中から個人的嗜好に基いて選曲されたものである. 独奏曲や室内楽曲を割愛し, 聴きごたえのある管弦楽曲(交響曲・協奏曲・声楽曲を含む)の中から選んだ点においても前稿と同様である.
 
 続編なるものの性質上, 前稿に挙げた曲との重複は避けた. 同時に作曲家の重複も避けている. 前稿において, ある曲を選ぶ際にはその作曲家および他の作品にも簡単にふれているので, 本稿において同一作曲家の作品を選ぶことはその作曲家自身にも再度ふれることになるからである. もちろん, 前稿を書いた後にその作曲家の他の作品に接する機会を得たことも一再ならず, 同じ作曲家についてふたたび書いてみたいという思いがないわけではない. しかしそれは本稿で挙げる作曲家についても数年後にはやはり同様に生じうる事態であろうから, 私自身の浅学菲才のゆえと諦めるほかはないであろう.
 
 「名曲」の定義については人それぞれによって異なるであろうが, 私の場合は, 前稿に述べたように「それを初めて聴いた頃の境遇や心情に対する好悪と密接に関わ」っている. このような感慨は, 単に音楽的知識を増やす目的で乱聴するといった方法では決して得られない. 自己にとっての名曲を発見するためには, 心底からその曲に惚れこみ, その一曲を繰りかえして聴く時期がなければならない. 聴く機会を重ねるごとにやがてその曲を真に理解できるようになるのである. 言いかえれば, ふたたび聴くことを欲しないような曲が名曲となる資格を得ることは難しい. さまざまな感慨とともに生涯を通じて繰りかえし聴くことを欲する曲が私にとっての「名曲」となるのである.
 

 
バロック・古典派の音楽
ヘンデル(Georg Friedrich Händel, 1685-1759, ドイツ)
 では, まず最初に何を選ぶべきであろうか. 前稿においては「音楽の父」と称されるバッハを挙げたので, ここでは, バッハと同年に生まれ,「音楽の母」と称されるヘンデルを挙げよう.
 
 音楽的な深さや芸術性の高さという点ではバッハには遠く及ばないにしても, ヘンデルには彼の独特のドラマティックな表現力が備わっていたように思う. つねに聴衆を意識した直接的な表現をもって当時のヨーロッパ中の人々を魅了したのである. 二人が存命であった当時は, 荘厳で晦渋な音楽を書いたバッハよりもヘンデルの方が人気があったらしい. バッハ自身もヘンデルの存在をかなり意識していたらしく彼との知己を得るために何度か働きかけたようであるが, ヘンデルの方はバッハの存在など眼中になかったのか会う機会をもとうとしなかったという.
 
 バッハと同様, ヘンデルも大変な多作家であった. 現在知られているオペラだけでも 40 作以上ある. その中には,《
リナルド》(1711)第 2 幕の「私を泣かせて下さい」,《シッラ》(1713)第 1 幕の「聞き給え, わが美しき人よ」,《ゴールのアマディージ》(1715)第 2 幕の「ひどい苦しみを心に感じ」,《フロリダンテ》(1721)第 1 幕の「愛しい人」,《タメルラーノ》(1724)第 2 幕の「わが胸に芽ばえる」, 《オルランド》(1733)第 2 幕の「緑の月桂樹」,《クセルクセス》(1738)第 1 幕の「安らぎの木陰」など, 心を洗われるような清澄な音楽が少なくない.
 
 《
水上の音楽》(1717)や《王宮の花火の音楽》(1749)などの管弦楽曲, 十数曲におよぶ『オルガン協奏曲』や『チェンバロ組曲』などは, 明快で声楽的な手法を特長とし, 現代でも人気の高い作品群である. 中でも,『オルガン協奏曲 第 3 番 ト短調』(1733)や『チェンバロ組曲 第 5 番 ホ長調』(1720)は, 親しみやすいながらも格調の高さを感じさせるで音楽であろう.
 
 ヘンデルは, バッハのように純粋な信仰心に徹するわけではなく, といって聴衆に迎合するわけでもなく, ロマン・ロラン(Romain Rolland)が指摘する通り「万人が理解する言語をもって万人が共有する感情を表現した」のであった. その中の代表的なものとして, オラトリオ
1メサイア》(1742)がある.
 
 オペラの創作で培われた劇的手法が存分に採り入れられ, 旋律の美しさや豊かな情感はもちろん, さまざまな起伏や躍動感あふれるリズムなど, 種々の演奏効果がいたるところに散りばめられている. 初演で成功をおさめた後, 彼の存命中からたびたび演奏され, 今日にいたるまでプロ・アマを問わず頻繁に演奏されているゆえんであろう. 私自身, 子供の頃から年末に一度だけベートーヴェン(前稿参照)の『第九』を聴くことにしているのと同様, この曲についても毎年クリスマス直前に一度だけ聴くことにしている. 聴くたびに, クリスマス・イヴに行われた燭火礼拝や讃美歌を歌いながら歩くキャロリングに参加した子供の頃を懐かしく思い起こすのである.
 

 
ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732-1801, オーストリア)
 《メサイア》は, モーツァルト(前稿参照)やベートーヴェンがヘンデルを畏敬するに値する充分な魅力を備えていた. ハイドンは, この曲と同等の作品を書くことを目標として, その晩年にオラトリオ 2天地創造》を仕上げたのであった. 後年のロマン派音楽の雰囲気をただよわせ, 調性や管弦楽法を描写的に使い分けるこの作品も,《メサイア》に優るとも劣らない気高さをもつ名曲と言えよう.
 
 叙情性が豊富なアリアや合唱は聴く者の心に奥深くまで染みわたるであろう. スコアを見れば, この曲には(《マタイ受難曲》ほどではないにしても)音楽全体に種々の技巧が凝らされていることが分かる. 3 年後に作曲された
オラトリオ四季》(1801)や《トビアの帰還》(1775)もよく知られた名曲であるが,《天地創造》の壮大な音楽観はそれを上回るように思う.
 
 「交響曲の父」と称されるハイドンが遺した 100 曲を超える交響曲の中では, やはり円熟した技法が見られる後期の作品が耳を引く. 編成にチェンバロを含む『
交響曲 第 88 番 ト長調』(1787)や『交響曲 第 92 番 ト長調オックスフォード》』などの幸福感に満ちた楽想, 編成にティンパニ以外の打楽器を含む『交響曲 第 100 番 ト長調軍隊》』(1794)や第 2 楽章が特に有名な『交響曲 第 101 番時計》』(1794)のほか,『交響曲 第 104 番ロンドン》』(1795)の華やかな絢爛さも魅力的である.
 
 ハイドンの音楽も, ヘンデルの音楽と同様にすがすがしい陽気な楽想にあふれている.『
弦楽四重奏曲』では,『第 67 番 ニ長調雲雀》』(1790)や『第 73 番 ハ長調皇帝》』(1797)など聴く者の幸福感を高揚させるような清澄な音楽が多い. 複数の『ピアノ三重奏曲』についても同様である.
 
 また, 50 曲以上にもおよぶ『
ピアノ・ソナタ』は私にとっては特に懐かしい. 中でも,『第 37 番 ニ長調』(1780),『第 46 番 変イ長調』(1769),『第 49 番 変ホ長調』(1790),『第 52 番 変ホ長調』(1794)などは, 中学生時以来, 好んで弾いてきた作品であって, その高雅な楽想には聴くたび弾くたびに魅了される.
 
 協奏曲にも優れた名曲が多い.『
トランペット協奏曲 変ホ長調』(1796),『チェロ協奏曲 第 1 番 ハ長調』(1780),『チェロ協奏曲 第 2 番 ニ長調』(1783),『ピアノ協奏曲 ニ長調』(1782)は特に有名であり, 私自身もこれらの音楽を好んで聴く.
  

 
ロマン派の音楽
シューベルト(Franz Peter Schubert, 1797-1828, オーストリア)
 「ドイツ歌曲の王」と言われるシューベルトは,《美しき水車小屋の娘》(1823),《冬の旅》(1827),《白鳥の歌》(1828)のなど, 珠玉の名曲にあふれた歌曲集を生み出した.《糸をつむぐグレートヒェン》(1814),《のばら》(1815),《魔王》(1815)《》(1817)などをはじめとするおびただしい数の歌曲も, 今なお人々の心に深く訴える音楽となっている.
 
 《
ロザムンデ》(1824)や《死と乙女》(1824)をはじめとする『弦楽四重奏曲』, 3 つの『ヴァイオリン・ソナタ』, 2 つの『ピアノ三重奏曲』(1827, 1828),『弦楽五重奏曲』(1828)など, 室内楽曲も数多く知られている. 単純な楽想に対して冗長な音楽ものも少なくないが, その中では『アルペジョーネ・ソナタ』(1824)が比較的よくまとまっていると思う. また, 20 曲あまりの『ピアノ・ソナタ』をはじめ, 複数の『ドイツ舞曲』や『エコセーズ』や『ワルツ』など, ピアノ作品も広く知られている.
 
 『
交響曲 第 5 番 変ロ長調』(1816)をはじめ,『交響曲 第 8 番 ロ短調未完成》』(1822)や『交響曲 第 9 番 ハ長調ザ・グレート》』(1826)などの有名な交響曲は, 私自身も小学生時代にスコアを片手に好んで聴いたものである. また,『 2 つのスケルツォ』(1817),『 4 つの即興曲』(1827, Op.90)や『楽興の時』(1828)などのピアノ曲も, 小中学生時代に好んで弾いた曲集である.
 
 彼の宗教音楽には,『
ミサ曲 第 5 番』や『ミサ曲 第 6 番』を筆頭に, 心底から精神を浄化する荘厳で深淵な傑作がいくつか存在する. 彼の敬虔な信仰心と熟達した作曲技法が織りこまれた格調高い作品であり, 聴くたびに心が洗われる思いがするのである. その中では 3ドイツ・ミサ曲 ヘ長調』(1827)が懐かしい. 子供の頃に両親に連れられてかよった教会で, 聖歌隊の一員として歌ったり伴奏を務めたりする中で親しんだ音楽である. 番号つきのミサ曲のような独唱部やポリフォニーをもっておらず, 形式こそ単純な聖歌であるが, 内容的にはそれらに劣らない高い水準を誇る傑作であると言えよう.
  

 
ロッシーニ(Gioachino Rossini, 1792-1868, イタリア)
 一般的に言って, オペラの作曲というものには種々の困難がつきまとうものであるが, 名作オペラを数多く書き残した作曲家も少なくない. ヘンデルをはじめ, ロッシーニ, ヴァーグナー, ヴェルディ, プッチーニ, R.シュトラウスなど……. このうち, ヴェルディは前稿でふれ, ヘンデルについても前述したので, 以下, それ以外の 4 名の作曲家について書こう.
 
 ロッシーニは若い頃からオペラ作曲家を目指していた. 10 歳の頃から管弦楽つきの声楽曲や純粋な管弦楽作品をいくつか書いた後,
オペラ・ブッファ結婚手形》(1810)を筆頭にオペラ作曲家としての道を歩みはじめる.
 
 以後,《
絹のはしご》(1812),《アルジェのイタリア女》(1813),《イタリアのトルコ人》(1814),《泥棒かささぎ》(1817),《セミラーミデ》(1823),《ランスへの旅》(1825)など, 40 作品にもおよぶオペラを書き残した. 最後の《ウィリアム・テル》(1829)にいたるまでの約 20 年ほどの間に, 平均して年間 5 作品という驚異的なスピードでオペラを創作したことになる. これは, 彼が自作の他の作品や他の作曲家の作品から主題を転用することを常としていたことで可能ならしめたことであった.
 
 喜歌劇の代表作 4
セビリアの理髪師》(1816)にいたってはわずか 13 日で書き上げられたというから驚く. いくら速筆で知られた作曲であったとはいえ, フルスコアで 400 頁以上の楽譜をこのような短期間で書く作業は, 常人の到底およばぬ腕力であろう. モーツァルトの《フィガロの結婚》へと続くこのオペラは, 音楽的にも内容的にも大変におもしろい. 通常, 序曲の主題は劇中の音楽から採られるものであるが, この序曲の主題はこのオペラの中には現れない. 彼は, 同一の主題をいくつかのオペラで使いまわしており, 各オペラのために固有の序曲を書いたわけではなかったのである. 見方によってはかなり怠慢な作曲家であるが, そこは, あの風体のロッシーニだけに許される愛嬌であろうか.
 
 スタンダール(Stendhal)が「37 歳の若隠居」とロッシーニを揶揄したように,《ウィリアム・テル》を 37 歳で発表した後, 彼は 76 歳で没するまでほとんど音楽を書かなかった. 音楽にではなく, 料理と食べることとにもっぱらであったという.「ロッシーニの音楽はスピード感を特徴とし, 生き生きとした軽妙さと刺戟的で聴衆を恍惚とさせる. 一方で, モーツァルトのように悲哀や切ない憂愁さを表現する部分がなく, チマローザ(Domenico Cimarosa)のように身を焼き焦がすような情熱を見せる部分もない.」と述べるスタンダールの見解は正鵠を射たものと言えよう.
 
 オペラの作曲以後, 美食に舌鼓を打つなかで, 彼はいくつかの宗教音楽を書いた. その中の一つ《
スタバト・マーテル》(1842)はオペラのような重厚感のある荘厳な音楽であり, 彼の声楽作品の中でもひときわ優れたものになっている.
  

 
ヴァーグナー(Richard Wagner, 1813-1883, ドイツ)
 ヴァーグナーは, 文学・美術・哲学など諸芸術をすべて含んだ「総合芸術」としてのいわゆる「楽劇」を大成した. 作曲家であると同時に文学者・美術家・思想家でもあった彼は, ベートーヴェンや指揮や作詞作曲に関する著作のほか, 自身の楽劇上演のために新たに劇場まで建設したのであった. 生涯にわたって楽劇を創りつづけた彼の作品群を見ると, 当然ながら他の分野の作品は少ないし, 彼の妻の誕生日用の贈り物として作曲した《ジークフリート牧歌》(1870)以外の管弦楽曲や声楽曲が上演される機会もきわめて少ない. しかし, 本領とも言える楽劇については, 自ら台本を書き, 自己の哲学や情熱のすべてを注ぎこんだ充実した創作物を生みだしており, それらは現代にいたるまで高い上演頻度を誇る傑作として残っている.
 
 5 幕からなる悲劇の大作《
リエンツィ》(1840)や神秘的で不気味な雰囲気をただよわせる《さまよえるオランダ人》(1841)は, 初期の作品ながら見せ場や聴かせどころの豊富な傑作である. 明確にライトモチーフを用いはじめた《タンホイザー》(1845)や《ローエングリン》(1848)にはよく知られたアリアや楽曲も多く, 劇としても音楽としても充分に楽しめるものである.
 
 また, 代表作とも言える《
ニーベルングの指環》四部作, すなわち,《ラインの黄金》(1854),《ヴァルキューレ》(1856),《ジークフリート》(1871),《神々の黄昏》(1874)は, ヴァーグナーがこれらの作品のために建設させたバイロイト祝祭劇場の落成記念として, 4 日間にわたって初演された壮大な楽劇である. 全世界を支配しうる魔法の指環の争奪をめぐる物語で, 内容に統一性をもたせ聴衆に理解しやすくするために, ライトモチーフが効果的に用いられている. 作品に織りこまれた思想や音楽もさることながら, 着手から完成までに 23 年以上を費やすというヴァーグナー自身の情熱の持続力には心底から驚嘆させられる!
 
 この長大な楽劇を作曲する合間に, 中世の伝説に基づく悲劇 5
トリスタンとイゾルデ》(1859)と, 明快で喜劇的内容をもつ《ニュルンベルクのマイスタージンガー》(1867)が作曲された. 前者は,「トリスタン和音」をはじめとして調性を曖昧にする要素が多分に含まれ, 20 世紀の無調音楽の先がけとも言われる. その音楽の美しさはヴァーグナーが書いた楽劇の中でも最高級のものであり, そこに込められた情熱や叙情は聴く者を真に感激させる魔力を秘めている. 後者はヴァーグナーにしては珍しく内容的にも音楽的にも分かりやすい「喜劇」であり, 有名な「前奏曲」をはじめとして彼の全作品の中でも特に人気のある作品である.
 
 心の内で夢を膨らませる芸術家は数多いが, それを実現させる芸術家となるときわめて少ない. しかし, ヴァーグナーは, つねに巨大な夢を抱きつつ必ずこれを実行させるという強靭な意志のもち主であった. 奔放な性格で, リスト(後述)の娘でビューロー(Hans von Bülow)の妻であったコジマ(Cosima)との再婚劇に代表される彼の波乱万丈な生涯などを考え合わせると, 生粋のドイツ人らしい大柄で頑丈な人物を想わせるのであるが, 実際のヴァーグナーは意外にも小柄な体躯であったらしい. とは言え, 彼が書き残したスコアや台本の量の膨大さを考えるだけでも, その能力や腕力(彼自身が口述筆記させた自伝原稿も膨大な量になる)には並々ならぬ情熱ぶりがうかがえる. 私は, ヴァーグナーのもつその秀逸な才能と恐るべき実行力に対して, 畏敬の念を抱く者である.
 

 
プッチーニ(Giacomo Puccini, 1858-1924, イタリア)
 幼い頃のプッチーニは, 練習する代わりに父親に小遣いをねだるほどピアノの稽古や歌が嫌いであったらしい. しかし, ヴェルディの《アイーダ》を耳にして以来, 彼はオペラ作曲家を目指し, 結果的にはそれで成功を収めたのであった.
 
 《
トスカ》(1900),《蝶々夫人》(1903),《トゥーランドット》(1924)などは, 比較的よく上演される人気の高い演目である. また, 上演される機会は少ないにしても,《マノン・レスコー》(1893),《修道女アンジェリカ》(1917), 《ジャンニ・スキッキ》(1918)などにもよく知られた美しいアリアがある.
 
 これらのオペラは必ずしも初演時から賞讃されたわけではないが, よく知られた物語または平易な筋書きで人間味にあふれた内容をもち, 大変に親しみやすい. そこに施された優美で哀愁を帯びた和声と色彩感ゆたかな管弦楽法により巧妙に演出されたドラマティックな音楽は, プッチーニがオペラ作曲家としての才能を充分に備えていたこと示すものと言えよう.
 
 彼のオペラの中ではもっとも人気のある 6
ラ・ボエーム》は, 前者は貧窮詩人と病弱少女との悲恋物語である. 台本選択にはきわめて慎重であったプッチーニは, 劇として名高かったこの小説に目をつけ, やはり同じ題材でオペラの作曲を始めていた友人の作曲家レオンカヴァッロ(Ruggero Leoncavallo)と競うようにしてこの作品を仕上げたのであった. わずか 29 歳のトスカニーニ(Arturo Toscanini)によって初演されている点も記憶されてよい. 余談ながら, レオンカヴァッロの同名のオペラはほとんど顧みられなかったという.
 
 「私の名はミミ」,「私が街を歩けば」,「愛の声に呼ばれて出た家に」をはじめとして, 第二次世界大戦以降に現れた映画音楽もしくはミュージカル音楽のような情熱的で甘い和声旋律をもつ種々のアリアは, 聴く者をまたたく間に魅了する要素をもっている. 娯楽性が高く芸術性が低いと評するむきもあるが, 元来オペラには娯楽性がつきものであり, その中にも高い芸術性を誇るものが少なくないのである. その意味では, プッチーニはもっともオペラらしいオペラを書いた作曲家であった.
 
 なお, プッチーニの初期の管弦楽曲である《
交響的前奏曲》(1876)や《交響的奇想曲》(1883)なども,(彼のオペラと同様)叙情的で大変に美しい.
 

 
R. シュトラウス(Richard Strauss, 1864-1949, ドイツ)
 ヴァーグナーに次ぐドイツ・オペラの巨人, リヒャルト・シュトラウスも, 数々の大作を書き残した偉大なる人物であった.
 
 彼の初期のオペラである《
グラントム》(1894)や 《火の試練》(1901)には, ヴァーグナーの影響が色濃くにじみ出ている. 第 3 作目の 7サロメ》(1905)は, その内容の過激さから発表当時は上演が禁止された地域もあったが, 彼の個性が光る傑作であり, 現在でもよく上演される人気作品である. その劇的な音楽と管弦楽的書法の前衛性については, 同じく劇的音楽の大家マーラー(前稿参照)や管弦楽法の大家ラヴェル(前稿参照)たちも絶讃したという.
 
 《
エレクトラ》(1908), 8ばらの騎士》(1910),《ナクソス島のアリアドネ》(1916),《影のない女》(1917),《アラベラ》(1932),《エジプトのヘレナ》(1933)など, 彼はオペラの傑作を次々と発表した. これらの台本は, シュトラウスと親密な関係にあり, 彼との膨大な書簡集を残したホフマンスタール(Hugo von Hofmannsthal)が手がけている.《インテルメッツォ》(1923),《無口な女》(1935),《ダフネ》(1937),《カプリツィオ》(1941)なども含め, 彼は生涯にわたってオペラを創りつづけた作曲家であった.
 
 《
薔薇の騎士》は, 20 世紀における屈指の傑作オペラと言えよう. 吉田秀和氏も「(モーツァルトを除けば)いちばん好きなオペラ」と称賛している. 見せ場や聴かせどころが豊富なドラマティックな構成をもち, その緻密な管弦楽法と楽想の繊細な叙情性とによって現在でも多くの聴衆を魅了しつづけているのである. 私自身は, 音楽的な内容もさることながら, 各楽器を効果的に活かした管弦楽法と感情の起伏(音楽的なエネルギー)を絶妙にコントロールしたその卓越したスコアに感嘆させられる.
 
 R. シュトラウスは大変な世わたり上手で, 作曲家としても指揮者としても成功した. わずか 30 歳あまりで英雄きどりであった彼は, 自身を主人公にした
交響詩英雄の生涯》(1898)を書き, 自身の幸福な家庭生活を《家庭交響曲》(1903)に公然と描いた. 臆面もなく名誉と金銭を求めたシュトラウスに対して疑問を感じた人々も少なくなかったようである. 演奏会が終わると作品評よりも金銭的利益を気にしていたとか, ナチスに媚びへつらってユダヤ人芸術家への協力を惜しんだとか, 彼の人間性については感心しかねる伝聞も少なくない.
 
 私がいささか不思議に感ずるのは, それほどまでに金銭的利益を気にかけるのであれば, なぜあれほどまでに巨大な管弦楽編成で書いたのか, である. 次々に作品を発表して利益を得たいのであれば, 早く書き上げられるように楽器編成を小規模にすればよいであろう. 実際,《
ナクソス島のアリアドネ》に見られるように, 彼は小規模編成でも演奏効果の高いものを書くだけの技法を充分に備えていたのである. ところが,《ドン・ファン》(1888),《死と変容》(1889)以降,《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯》(1895),《ツァラツストラかく語りき》(1896),《ドン・キホーテ》(1897)などの交響詩において, その編成はいずれも 3 管から 4 管以上の大規模なものになっている.《英雄の生涯》や《家庭交響曲》を経て,《アルプス交響曲》(1915)にいたってはホルンの総数が 20 本(そのほかに風や雷や羊の鳴き声など)という破天荒ぶりである.
 
 とは言え, R. シュトラウスは, まさにその巨大な編成によって絶大なる演奏効果を引き出したのであった. 非効率的な増幅で巨大編成の魅力を充分に活かしきれていないマーラーとは異なり, 装飾的な音符が実に緻密に書き込まれ, しかもその音の一つ一つが他の楽器群の響きに埋もれることなく明確に聞こえるように構築された彼の管弦楽法は, スコアを検討するたびに感心させられる. 二人とも指揮者として管弦楽に熟知していたはずあるが, R.シュトラウスの卓越した管弦楽法はマーラーのそれをはるかに凌駕している! R. シュトラウス特有の官能的な豊饒な響きは, まさにその卓抜な管弦楽法の賜物であると言えよう.
 

 
ロシアの前近代音楽
グリンカ(Mikhail Glinka, 1804-1857, ロシア)
 著名なロシア人作曲家の中では最初期に位置するグリンカは, ロシア音楽の祖あるいはロシア国民学派の祖と言われる. 彼は, 力のあるピアニストや音楽理論家に師事したりその作曲様式を積極的に採り入れたりして巧みな作曲技法を身につけていった. 様式的には特に新しいものを創出することはなかったにせよ, その叙情的で華麗な音楽は後のロシア 5 人組をはじめとする多くのロシア人作曲家に無視できない影響を与えることになったのである.
 
 彼の作品の中でもっとも有名なものは, プーシキン(Alexander Pushkin)の詩にもとづくオペラ 9
ルスランとリュドミラ》(1842)であろう. 短いながらも典型的なソナタ形式でまとめられた序曲は特に有名である. その内容も, バレエを含んだグランドオペラとしてなかなかの観ごたえがある. 東洋的な要素や民族的な要素が様々に活用され, それらはこの物語における童話的雰囲気の演出に大きく貢献していると言えよう. その巧みな作曲技法にもかかわらず初演は不評であったらしいが, グリンカと交友のあったベルリオーズはこれを高く評価し,《チェルノモールの行進》をピアノ用に編曲している.
 
 また, わが国ではほとんど知られていないが, 彼のオペラにはもう一つ, ロシアの民族的要素の濃い《
皇帝に捧げた命》(1836)がある. こちらは, ロシア発の本格的オペラとしてロシア国内では大変な人気を博した作品であり, この国のオペラとしては初の国外上演がバラキレフ(後述)の指揮によって行われている. ロシア国民のナショナリズムを喚起するこのオペラは,《イーゴリ公》や《ボリス・ゴドゥノヴ》にも大きな影響を与えたことであろう.
 
 他の管弦楽作品として,《
2 つのロシア主題による交響曲 ニ短調》(1834)や劇付随音楽ホルムスキー公》(1840)などは, 演奏される機会は少ないにせよ主題がよく洗練されており, ロシアの情感を豊かに聴かせる印象的な音楽であると思う. また,『幻想曲カマリンスカヤ》』(1848), 《2 つのスペイン序曲》(1845, 1851)の異国情緒あふれる明快な響きも, 聴いていて心地がよい.
 

 
ボロディン(Alexander Borodin, 1833-1887, ロシア)
 グリンカに続いて登場したのは「ロシア五人組」―― ボロディン, キュイ(César Cui), バラキレフ(後述), ムソルグルスキー(前稿参照), リムスキー=コルサコフ(前稿参照)であった. 辛辣な音楽評論と数多くの歌劇や歌曲を残したキュイについては不勉強ながらほとんど挙げるべき作品を知らないので, 本稿ではボロディンとバラキレフについて書こう.
 
 ボロディンの音楽は, ロシアの国民性や風土に深く根づいたノスタルジックで哀愁を帯びた叙事的な雰囲気が大きな魅力になっている. もっともよく知られている音楽は
歌劇イーゴリ公》の中の《ポロヴェツの踊り》であろう. ロシアに伝わる叙事詩『イーゴリ軍記』に基づく内容で, 観ていて大変に惹き込まれるオペラであるが, 残念ながらボロディンはこれを完成できずに世を去ってしまった. 有名な「序曲」をはじめ, ほとんどがリムスキー=コルサコフ(N.A.Rimsky Korsakov)とグラズノフ(Aleksandr Glazunov)の両者によって脚色されており, どこまでがボロディン自身の音楽なのかが明確にできないのがまことに残念である.

 管弦楽曲でよく知られているのは『
交響詩中央アジアの草原にて》』(1880)であろうか. 私がこの曲をはじめて聴いたのは小学 5 年生時の音楽の授業であった. 当時, マーラーやブルックナー(前稿参照)のような大規模な交響曲に夢中になっていた私は, 単純な主題で 2 管編成にとどまるのこの小品を聴きどころのない退屈な音楽と考えていた. この曲の主題や和声の美しさや楽器法および楽曲構成上の巧みな技法に感心するようになったのは学生時代になってからである. 以来, 全曲に通底する豊かな叙情性と郷愁性には, 聴くたびに強く心を揺り動かされるのである.
 
 他の管弦楽作品としては 3 曲の交響曲があるのみである. 3 曲とも魅力的な楽想に富んだ音楽(『
交響曲 第 3 番 ロ短調』は未完成ながら民族性あふれる傑作である)であるが, 中でもエネルギーに満ちあふれた 10交響曲 第2番 ロ短調』(1876)はすばらしい. 指揮者ヴァインガルトナー(Felix Weingartner)は,「ロシアの国民性を知るにはチャイコフスキー(前稿参照)の『交響曲 第6番 ロ短調《悲愴》』とボロディンの『交響曲 第2番』を聴けば充分だ」と述べている. これの当否はともかく, この交響曲が《イーゴリ公》に次ぐ彼の代表作であることは認めてよいであろう.
 
 化学者(医科大学教授)を本業とした彼の作品は, 専門家から見ればディレッタントの域を脱しないかも知れない. しかし, 後世の多くの聴者にとっては, その作曲家がその時代をリードする者であったか否かはさほど問題にはならないであろう. わが国では彼の作品が演奏される機会は少ないが, より多くの人々に親しまれるべき音楽であると思う.
 
 なお, 彼の他の作品には, 第 3 楽章が特に有名な『
弦楽四重奏曲 第2番 ニ長調』(1881)や《小組曲》(1885)などのピアノ曲, その他いくつかの歌曲に優れたものがある.
 

 
バラキレフ(Mily Balakirev, 1837-1910, ロシア)
 ロシア五人組の中では最年長のバラキレフは, 民謡をもとにしたロシアの国民性の強い音楽を書いた.
 
 ピアノの達人であった彼はピアノ作品を数多く書いており, それらは, ショパンの影響を強く受けた初期の名曲『
ピアノ協奏曲 第 1 番 嬰ヘ短調』(1856)をはじめ, 複数の『マズルカ』,『ワルツ』,『スケルツォ』,『ノクターン』など, 没個性的ではあるが親しみやすいものになっている.
 
 その中でひときわ優れているのは,『
東洋風幻想曲イスラメイ》』(1869)および『ピアノ・ソナタ 第 2 番』(1905)であろう. 前者はバラキレフ自身も演奏困難と称した超絶技巧を要する作品であるが, 半音階的進行の豊富な舞踏曲風の速いパッセージと東南アジアを想わせる異国情緒豊かで幻想的な中間部が大変に魅力的である. 後者はロシアの民謡を織り込んだ郷土性の強い音楽で, 内省的で静謐な雰囲気をただよわせる美しい和声が印象的である.
 
 《イスラメイ》と同様, 東洋風の情緒を匂わせる 11
交響詩タマーラ》』(1882)は, リスト(後述)の交響詩に感化されつつもバラキレフ独自の世界観を打ち出した傑作である. リムスキー=コルサコフの《シェエラザード》のもつ雰囲気に似かよっているが, 作曲年代はバラキレフの方が先であり, その色あざやかな舞踊的性格や巧みな管弦楽法を含め,《シェエラザード》がこの曲の影響を受けていることは疑いがない. また,『交響詩ルーシ》』(1890)もロシア民謡を用いた優れた作品であり, こちらはリムスキー=コルサコフに献呈されている.
 

 
グラズノフ(Aleksandr Glazunov, 1865-1936, ロシア)
 グラズノフが師匠リムスキー=コルサコフと共にボロディンの《イーゴリ公》を補筆完成させたことは先に述べた. しかし, グラズノフ自身の作品が演奏されることはわが国ではボロディンよりもさらに稀であるし, 知られてもいない. ラフマニノフ(前稿参照)の交響曲第 1 番を悪名高きものにした原因の一端が指揮者を務めた彼にあるとの逸話はよく聞かれることであるが…….
 
 西欧音楽の厳格な形式と重厚なロシア的雰囲気とをあわせもった作品を次々に発表したグラズノフは, ロシア・アカデミズムの創始者と言われる. きわめて多作な作曲家で, その作風にはチャイコフスキーやボロディンなどの影響が色濃く見られる. 個性的とは言えないにせよ, たぐい稀なるメロディー・メーカーであって優れた和声感覚と巧妙な管弦楽技法のもち主であった彼の音楽は, 聴く者の心に訴える情感豊かなものとして髙く評価されるべきであろう.
 
 管弦楽曲でよく知られているのは,
交響詩ステンカ・ラージン》(1885)やバレエ音楽四季》(1899)である. 私自身は,『東洋的狂詩曲』(1899)のほか,『交響的絵画》』(1890)なども好んで聴く.
 
 9 曲の交響曲のうち, 第 9 番は未完成である(マーラーと同様の思想であえて完成させなかったとも言われる). 彼の作品からは, 12
交響曲 第7番 ヘ長調田園》』(1902)および 13ヴァイオリン協奏曲 イ短調》(1904)を選ぼう.
 
 前者はベートーヴェンの同名の交響曲を意識して書かれたと思われ, 調性や標題などをはじめとして多くの類似点が認められる. 特に個性的というわけではないが, この音楽のもつ軽妙でファンタジックな雰囲気に惹き込まれるのである. また, 後者におけるノスタルジックな美しいメロディーとハーモニー! ヴァイオリン独奏には高度な演奏技法を要する難曲であるが, そこにただよう甘く切ない叙情性と高貴な華やかさに鑑みれば, 聴く者にとってはまさに天上の音楽と言えよう.
 
 7 曲の『
弦楽四重奏曲』やいくつかの歌曲集などに代表される室内楽や声楽作品は, これまた叙情性豊かな旋律に満ちている. その中では, 最晩年に作曲された『サクソフォン四重奏曲』(1932)が名曲であり, 実際に演奏頻度も高い. 晩年の彼はフランスに拠点を移して作曲活動や指揮活動に打ち込んでおり, その影響であろうか, この頃の彼の作風はしだいに新古典主義の様相を呈しはじめている. 私自身は,『サクソフォン四重奏曲』と同じ頃に書かれた『サクソフォン協奏曲 変ホ長調』(1934)の華麗な響きをより好んで聴く.
 

 
フランスの前近代音楽
ビゼー(Georges Bizet, 1838-1875, フランス)
 19 世紀に活躍したフランス人作曲家には, ベルリオーズ(Louis Berlioz), グノー(Charles Gounod), フランク(César Franck), ラロ(Édouard Lalo), シャブリエ(Emmanuel Chabrier)などがいる. また, それ以降も, デュカス(Paul Dukas), サティ(Erik Satie), ルーセル(Albert Roussel), イベール(Jacques Ibert), ミヨー(Darius Milhaud)など, 著名作曲家が目白押しであるが, 誌面の都合上これらの作曲家は別の機会に譲ることにして, ここではビゼーから始めよう.
 
 若い頃からオペラ作曲家を目指したビゼーは精力的にオペラを作曲した形跡があるが, その多くは未完成であって, 完成されたのは,《
真珠採り》(1863),《美しきパースの娘》(1866),《カルメン》(1874)など, ごくわずかにすぎない.《カルメン》は, 前奏曲をはじめとして有名なアリアをいくつか含んでおり, 現在では彼の代表的オペラであるが, なぜか初演時は不評であったという.
 
 同じく初演時は不評であった劇付随音楽《
アルルの女》(1872)も, 現在では彼の代表的作品と言ってよいほど頻繁に演奏されるし, ピアノ曲《半音階的練習曲》(1868)やピアノ連弾曲《子供の遊び》(1871)もよく知られている(後者には管弦楽版も存在する). いずれも簡潔で親しみやすい旋律が特徴的である. なお, 歌曲や合唱曲もいくつか存在するが, それらが演奏される機会はほとんどないし, 私自身もほとんど聴いたことがない.
 
 彼の作品からは, 最初期の作品 14
交響曲 第1番 ハ長調』(1855)を選ぼう. ハ長調で, トロンボーンを含まない 2 管編成, 第 3 楽章にスケルツォをおく, といった点をはじめとして, 内容的にもベートーヴェンの『交響曲 第 1 番』との類似点が多く見られる. 溌剌として軽妙な第 1 楽章(2 つの優れた主題で構成されたソナタ形式), 叙情的で哀愁のただよう第 2 楽章, 宮廷の舞踏を想わせる高貴な第 3 楽章(特にトリオ部分のパストラーレ風の楽想は, その転調の手法を含め, ベートーヴェンの《田園》からの影響を色濃くにじませている), 華やかな軽妙さをもつ第 4 楽章……. 交響曲という分野が一般的でなかったフランス音楽界において, ビゼーは典型的規範的な交響曲を書いた最初の作曲家と言えよう.

 なお, この交響曲には番号が付けられているのであるが, 第 2 番は作曲直後に破棄されているため, 実質的には彼の交響曲はこれ 1 曲のみである.
 

 
サン=サーンス(Camille Saint-Saëns, 1835-1921, フランス)
 幼少の頃からピアノや作曲の才能を表したサン=サーンスの早熟ぶりは, モーツァルトを想わせる. その一方, 不遇な生い立ちや, 音楽とは無縁の家系から突如として出現したという点では, ドビュッシー(前稿参照)を想わせる.
 
 彼は実に多作家であった. ベートーヴェンに影響を受け, ウィーンの伝統的な音楽形式も基く器楽曲, すなわち, 交響曲, 協奏曲, 室内楽曲, 独奏楽器のためのソナタなどにその本領が発揮されている. そのかたわら, リストやヴァーグナーをフランスに紹介した彼は, 交響詩やオペラなども精力的に作曲した.
 
 交響曲では, やはり『
交響曲 第 3 番オルガン》』(1886)が圧倒的に有名であり, 協奏曲では『ヴァイオリン協奏曲 第3番 ロ短調』(1880)や『ピアノ協奏曲 第4番 ハ短調』(1875),『ピアノ協奏曲 第5番 ヘ長調エジプト風》』(1896)がよく知られている. また, 管弦楽作品では, 交響詩四部作すなわち《オンファールの糸車》,《ファエトン》,《死の舞踏》,《ヘラクレスの青年時代》(1871-1877)にも彼の熟達した技法が随所に見られる.
 
 しかし, 私自身は, 彼の作品全体について高く評価する者ではない. 彼の作品には, 名作がいくつか見られる一方で通俗的で凡庸な作品も少なくないように思う. 多作家でありつつも作品の質を維持することは(バッハのような超人を除けば)ほどんと不可能であろう.
 
 ここでは, オペラ 15
サムソンとデリラ》(1872)のすばらしさを考えて彼の名を挙げたにすぎない. 旧約聖書「士師記」から題材を得たこのオペラは, 異国情緒の豊富な壮大なドラマを見せる作品である. スコアは 3 管編成かつ比較的装飾の多い細かい筆致で描かれており, 速筆の彼にしては珍しく, この曲の着手から完成までに 6 年の歳月が費やされている. 第 3 幕のバッカナールは管弦楽作品としても単独で演奏されることが多いが, 第 2 幕第 3 場(デュラン版スコア 283 頁から)のアリア「私の心はあなたの声に開く」やいくつかのコラールなど, 美しい旋律が多く含まれることでも知られている.
 
 なお, 彼は, この他にオペラを 12 作品も書いているのであるが, ほとんど上演されない. 逆に言えば, それほどこのオペラは傑出した出来を誇っているのである.
 

 
オネゲル(Arthur Honegger, 1892-1955, フランス)
 フランス 6 人組の一人であるオネゲルは, 50 以上もの映画音楽を含む多作な創作活動にもかかわらず, 数々の名作を生みだした. 両親と生誕地との関係から, 彼の音楽は, ドイツとフランスの良さがほどよく調和している. 叙情的でロマン派的な要素を含みつつ, 喜怒哀楽を劇的に表現し, それを秩序だてた厳格な作曲技法をもって構成する彼の音楽は, 他の作曲家の音楽には見られない魅力にあふれている.
 
 わが国で比較的よく知られている管弦楽曲は,《
パシフィック 231》(1923)や《ラグビー》(1928)であろうか(前者の方が有名であるが, 私は後者を好んで聴く). また, 5 曲の交響曲は, おのおのが独特の雰囲気をもつ特徴的な作品である. 特に,『交響曲 第4番バーゼルの喜び》』(1947)がもつ響きは大変に美しい. 他の管弦楽作品には,《ニガモンの歌》(1920),『前奏曲, フーガと後奏曲』(1948),《モノパルティータ》(1951)などがあるが, 私自身は, 初期の作品《夏の牧歌》(1920)の穏やかですがすがしい和声に強く惹かれる.
 
 敬虔なカトリック信者であった彼は, バッハを「偉大なるモデル」とし, 宗教音楽において傑作を残した. オネゲルの名を一躍有名にしたオラトリオ《
ダヴィデ王》(1921)は, バッハのオラトリオを髣髴とさせる壮大で劇的な効果に満ちている. 同じくバッハ作品に類比的な彼のオラトリオとして,《火刑台上のジャンヌ・ダルク》(1935)がある. これは, 古風で技法的な旋律を用いる一方で全音階や鋭い不協和音を用いており, 楽器編成は 4 本のホルンの代りに 3 本のサクソフォンを用いるなど, 実験的な要素も強い.
 
 その他, バレエ音楽や映画や劇のための付随音楽も数多いのであるが, 彼の白鳥の歌となった 16
クリスマス・カンタータ》(1935)のすばらしさは筆舌に尽くしがたい. 闇の混沌状態からキリストの誕生を経て希望に満ちた祝福の歌にいたる過程で, バッハのカンタータをはじめ, 種々のクリスマス・キャロルが折り重なる. 中間部における児童合唱のユニゾンとその後に登場する合唱「Gloria inexcelsis Deo」(サラベール版スコア 28 頁, RM 16 以降)以降に繰り広げられるクリスマス・キャロルは大変に美しい. 宗教的な感動に満ちた構成は, 劇的効果を知り尽くしたオネゲルならではのものであろう. 社会変動や現代音楽の将来に対して悲観的であった晩年のオネゲルが, 未来への明るい希望を希求して書いた最後の作品である.
 
 その他, 彼自身が愛着を感じていると述べた《
死の舞踏》(1938)や, 3 曲の『弦楽四重奏曲』, 3 曲の『ヴァイオリン・ソナタ』などの室内楽曲,《コクトーの 6 つの詩》(1923)などの声楽曲などにも優れた作品がある.
  

 
プーランク(Francis Poulenc, 1899-1963, フランス)
 さて次は, オネゲルと同じフランス 6 人組の一人であるプーランクについて書こう.
 
 プーランクの音楽の多くは, いかにも裕福な家庭に育った生粋のパリジャンらしい, エスプリに富んだ優雅で軽妙な作風をもつ. 音楽学校へ進まなかったにもかかわらず, 聴く者を楽しませる豊かな発想に恵まれた作曲家であった. 彼は, ラヴェルと親交のあったピアニストであるヴィニェス(Riardo Viñes)にピアノ演奏を師事し, 生涯にわたってピアノ演奏を得意とした.
 
 そのような彼の作品の中で私がもっとも好んで聴くのは『
二台のピアノのための協奏曲 ニ短調』(1832)と 17ピアノ協奏曲』(1849)である. これらは, 簡素な楽器編成と楽曲構成とをもち, 哀愁感だたよう洒落た和声とリズムとで聴く者を一瞬にして魅了する作品であり, 旧き良き時代の映画音楽を想わせる雰囲気をもつ. 軽妙でありながら一音一音がよく練られており, 高雅でユーモアに富んだ傑作と言えよう.
 
 このような趣向はプーランクの音楽全般にも見られるものであり,『
シンフォニエッタ』(1947)や, デュリュフレ(前稿参照)のオルガン演奏によって初演された『オルガン協奏曲』(1936)などもしかりである. 若い頃の彼は, 有名なバレエ音楽《牝鹿》(1923)や《模範的な動物たち》(1940)に代表されるような, 聴く者を喜ばせる自由奔放な作品を乱発した. 彼自身,「私の法典は本能である. 主義はもたない. 作曲上の体系ももたない. 霊感は神秘的なものである.」と述べている.
 
 しかし, このような作風が批判を浴びるようになった 30 歳代なかばの頃からは徐々に作風を転回し,『
スタバト・マーテル』(1950)や《グローリア》(1859)のような宗教音楽(合唱作品)を多く手がけるようになる. しかし, 新鮮で爽快な雰囲気をもつ機知に富んだ高雅な作風は彼の生涯にわたって見られる特徴であり, 私はそのような彼の音楽を比較的好んで聴く者である.
  

 
メシアン(Olivier Messiaen, 1908-1992, フランス)
 フランスでは, 6 人組が活躍した後, 多くの作曲家が種々の方向性をもって登場してきた. 例えば, シュミット(Florent Schmitt), ヴァレーズ(Edgard Varèse), ジョリヴェ(André Jolivet), フランセ(Jean Françaix), ブーレーズ(Pierre Boulez), コンスタン(Marius Constant)等々である.
 
 その中で, ヴァレーズは, 6 人組のメンバーよりも前に生まれたにもかかわらず前衛的な作品で知られている. しかしそれは, 彼が後に初期の作品をすべて破棄してしまったからであり, 最初から前衛的であったというわけではないという事情がある. また, コンスタンは, 若い時代にはちょうど仏国留学していた矢代秋雄(後述)の注意を引いたようであるが, 現在のわが国ではラヴェルの《夜のガスパール》の管弦楽編曲者として知られる程度にすぎない. いずれにしても, 上記作曲家たちの作品については詳しく品評できるほど聴いているわけではないので, 本稿では, フランス現代音楽の大家メシアンについて述べることにしよう.
 
  7 歳で作曲を始めた早熟なメシアンは, 11 歳でパリ音楽院に入学し, 和声・オルガン・作曲で第一位を得たにもかかわららず, その強い個性のゆえに, ラヴェルと同様, ローマ大賞を得ることはできなかった. 敬虔なカトリック信者であった彼は, 音楽院卒業後, オルガン奏者として優れた手腕を発揮した.
 
 彼の作品には, オルガン曲《
キリストの昇天》(1934), 室内楽曲《世の終わりのための四重奏曲》(1944), ピアノ曲《アーメンの幻影》(1942), 《幼子イエスに注ぐ 20 の眼差し》(1944), 合唱曲《神の降臨のための 3 つの小典礼》(1944)など, 彼の生きた信仰を基盤とした作品が少なくない. 単なる表現手段の一つとして神をもちだす他の現代作曲家とは異なり, 彼の創作姿勢は, 生涯を神への信仰に生きたバッハのそれと同等である(彼には長年にわたってカトリック教会のオルガニストを務めた実績がある).
 
 一方で, 師であるデュカス(Paul Dukas)による「鳥たちの歌を聴け. 彼らは偉大なる師である.」なる教えがあった.《
黒鶫》(1951)をはじめとして,《鳥の目覚め》(1953),《鳥のカタログ》(1958),《鳥の小スケッチ》(1985),《ステンドグラスと鳥たち》(1987)といった一連の「鳥」シリーズが作曲されることになる. 中でも, 旅行のたびに種々の国の鳥の鳴き声を録音した彼がこれをもとに作曲した《異国の鳥たち》(1956)は, 聴いていて大変におもしろい. 師の教えを忠実に守った彼は, 教育者としても優れた活躍を見せ, その門下生の中に, 前出のブーレーズの他, シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen)やクセナキス(Iannis Xenakis)が存在することは注目に値するであろう.
 
 彼の代表的作品としては, やはり 18
トゥランガリラ交響曲》(1948)が挙げられよう. 前稿に述べたストラヴィンスキーの《詩篇交響曲》やバルトークの『管弦楽のための協奏曲』(後述)など, 委嘱によって優れた作品を生む契機を数多く与えた指揮者クーセヴィツキー(Serge Koussevitzky)が,《詩篇交響曲》の場合と同様, 編成や演奏時間などの制限を設けずにメシアンに委嘱した結果として作曲された作品がこの曲であった. 種々の打楽器を要する特殊編成に加え, ピアノとオンドマルトノを独奏楽器とする全 10 楽章からなる管弦楽作品である. きわめて劇的な効果に富んだ音楽であり, その色彩的変化は大変に興味ぶかい.
 
 父親が所有していたレコードで私がこの曲を初めて聴いたのは, 小学4~5年生の頃であったと思う. 当時はメシアンがいかなる国のいかなる作曲家であるかをまったく知らなかったのであるが, 神秘性や不気味な雰囲気に包まれた独特な響きを聴かせるこの音楽にひたすら耳を傾けたものであった.
 

 
デュティユー(Henri Dutilleux, 1916-  , フランス)
 もう一人, 現代フランスの巨匠としてデュティユーの名を挙げておきたい. フランスらしい洗練された叙情性と色彩感豊かなオーケストレーションで構成される彼の音楽には, 聴く者を魅了するものが少なくない.
 
 まず, 管弦楽曲では,『
交響曲 第 1 番』(1951)および『交響曲 第 2 番ル・ドゥーブル》』(1959)がすばらしい.《メタボール》(1964),《 5 つの変遷》(1964),『チェロ協奏曲遥かなる遠い国へ》』(1969),《音色・空間・運動あるいは星月夜」》(1989)など, 実験的要素の強い作品も耳を引く.
 
 後期の作品の中に, 彼の代表的作品とでも言うべき 19
ヴァイオリン協奏曲夢の木》』(1985)がある. 静謐な雰囲気の中に美しい響きを散りばめた音楽である. 1990 年代に入ってからも未だ創作意欲は衰えず,《時間の影》(1997)では, 前期の作品ほどの華々しい輝きは見られなくなっているにせよ, その美しい響きは聴く者を恍惚とさせる魅力に富んでいる.
 
 室内楽では, フルートやオーボエのための『
ソナチネ』(1942, 1947)や『ピアノ・ソナタ』(1947)が傑作である. 後者は, 若い頃にデュティユーに私淑したという三善晃(Miyoshi Akira)の『ピアノ・ソナタ』(1957)に多くの影響を与えた作品であり, 両者には多くの類似点が見出せる.
 
 《
共鳴の 5 つの形》(1974),《ザッハーの名による 3 つの節》(1976),《3 つの前奏曲》(1988)など, 後期の作品もいくつか知られているのであるが, その中では,『弦楽四重奏曲夜はかくのごとく》』(1976)と特殊編成のための《シティション》(1990)がよく知られている.
 

 
ハンガリーの近代音楽
バルトーク(Bartók Béla, 1881-1945, ハンガリー)
 ピアニストやピアノ愛好家ならば, ハンガリーの作曲家と言えば, まずリスト(Franz Liszt)の名を挙げるであろう.「ピアノの魔術師」の異名をもつ彼は,《ため息》を含む《3 つの演奏会用練曲》(1848),《ラ・カンパネラ》を含む《パガニーニのによる大練習曲》(1851),《ハンガリー狂詩曲集》(1853),《メフィスト・ワルツ 第 1 番》(1861),《タランテラ》や《エステ荘の噴水》を含む《巡礼の年》(1848-1867)など, 多くのピアノ作品を作曲した. その多くは超絶技巧を要することで知られ, 豪華絢爛たる装飾音に彩られた書法は, 現代では多くのピアニストやピアノ愛好家の好んで演奏するレパートリーとなっている.
 
 上に列挙した作品は, 私自身も学生時代までにそのほとんどを弾いてきているものであるが, しかしそれはピアノ学習の一環として練習したにすぎない. 過度な装飾音, 単調なフレーズの執拗な反復, 音楽的内容とは無関係な超絶技巧, これらは, 例えば前稿でふれたラヴェルの《夜のガスパール》における洗練された装飾音や超絶技巧とはかなり質を異にする.
 
 したがって, ここでは, まずバルトークについて書こう. 最初期の管弦楽曲《
コシュート》(1903)は, R. シュトラウスのオーケストレーションを模範として作曲したものである. ここには, 祖国ハンガリーの民族主義的色彩や原始主義の兆しが見える. 彼のこのような特徴は,『弦楽四重奏曲 第 1 番』(1908)や 2 つの『ヴァイオリン・ソナタ』(1922),『舞踏組曲』(1923)のような作品にもすでに明確に現れている.
 
 原始主義的な特徴の色濃い作品の代表として,《
弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽》(1936)が挙げられよう. ここには, ティンパニのグリッサンドやいわゆる「バルトーク・ピツィカート」など, 当時における前衛的手法がいくつか見られるのみならず, 音楽自体にも大変な魅力がある. また,『弦楽四重奏曲 第 4 番』(1928)や『二台のピアノの打楽器のためのソナタ』(1937)などもバルトーク中期の傑作と言ってよい.
 
 バルトークは, ラフマニノフやプロコフィエフ(前稿参照)と同様, ピアニストとして相当な活躍を見せた. 若い頃には, ルービンシュタイン音楽コンクールにおいて, 作曲部門で『
ピアノとオーケストラのためのラプソディー』(1940)が第 2 位, 同時にピアノ部門ではバックハウス(Wilhelm Backhaus)についでやはり第 2 位という実力を示している.
 
 彼の 3 曲のピアノ協奏曲のうち, 最初の 2 曲は彼自身によって初演され, 以後たびたび彼はこれらの曲を演奏会でとり上げている( 3 曲目は死の直前に彼の妻のために書かれた作品であり, 彼自身が演奏することはなかった). 3 曲とも魅力的な作品であるが, 私自身は 20
ピアノ協奏曲 第 2 番』(1930)を特に好んで聴く. この曲には, 調性からの解放, 和声の緊張, 力強いリズムなど, 彼の作曲技法上の特徴がよく現れているからである. 彼が絶讃したと言われるヴォーン・ウィリアムズ(前稿参照)の『ピアノ協奏曲 ハ調』(1931)と類似した雰囲気が見られる点も興味ぶかい.
 
 また, 彼がコダーイ(後述)と共にハンガリー民謡の仕事に熱を入れたことは周知の事実である. 彼が蒐集した民謡はピアノ曲において数多くとり入れられた. その一方, ピアノを打楽器的に扱う特徴的手法も頻繁に見られ,『
アレグロ・バルバロ』(1911)や『ピアノ・ソナタ』(1926)などがその代表的な作品となっている.
 
 アメリカ亡命後のバルトークは, 仕事も少なく, 祖国からの年金も途だえて孤独と貧窮に陥った. 加えて肺結核を患った彼は, 少ない仕事をさらに控えて療養するほかはなかった. 友人たちは彼に経済的援助を施そうとしたのであるが, 誇り高いバルトークはこれを拒否したという. そのような折, ボストン交響楽団の指揮者クーセヴィツキー(前出)が彼に新曲を委嘱し, その結果として生まれたのが 21
管弦楽のための協奏曲』(1943)である. しかし, 彼の病は徐々に悪化し, 妻の今後の生活のためにと書いた『ピアノ協奏曲 第 3 番』(1945)のほかは,『ヴィオラ協奏曲』(1945)をスケッチとして遺したのみで世を去った.
 
 バルトークは, その鋭い眼光からもうかがえるように, 無口で頑固で冷徹な雰囲気をもっていた. 少なくとも外面的には, 言葉が少なく神経質であり, 近づきがたい印象を与える人間であったらしい. しかし, ごく親しい人たちには心から語り, 冗談を言い, 好かれる性格であったという.
  

 
コダーイ(Kodály Zoltán, 1882-1967, ハンガリー)
 バルトークとともにハンガリー民謡の収集に情熱を注いだコダーイであるが, 二人の作風は相当に異なっている. 前者は非妥協的な姿勢をもって前衛的な手法を追求しつづけたのであるが, 後者は適度に世俗的で穏健な作風を見せたのであった. 民謡を素材として作品を比較してみても, たとえば『舞踏組曲』と『ガランタ組曲』(1933)では, その作風上の差異は明瞭であろう.『ガランタ組曲』は洗練された和声と色彩に富んだ管弦楽法が聴きどころで, 断片的に現れるどこか懐かしさを感じさせる楽想が魅力的である.
 
 彼の作品でもっとももよく知られているものと言えば, やはりオペラ 22
ハーリ・ヤーノシュ》(1925)であろう. オペラ全曲が演奏される機会は少ないが, 組曲版は頻繁に演奏され, 親しまれている. 音楽はいずれも大変に独創的であり, 一度耳にしたら容易に忘れられないインパクトをもつ. アルトサクソフォンやツィンバロンが効果的に用いられたり, 楽章ごとに楽器編成が異なるという点もユニークであろう.
 
 わが国では, 民謡をもとにした《「
孔雀による変奏曲》(1939)がよく知られており, 実際, 印象的な楽想が豊富に含まれた傑作である. また,『管弦楽のための協奏曲』(1940)も彼の管弦楽曲の中では内容的に密度の高い傑作と言えよう. 残念ながら, バルトークの同名の作品に比べると知名度はかなり低いものに留まっているのであるが…….
 
 一方, 室内楽では, 難曲として知られる『
無伴奏 チェロ・ソナタ』(1915)がすばらしい. 低音の 2 本の弦にスコルダトゥーラを適用して通常のチェロでは奏出しえない和音を多用し, 楽譜を見ると, チェロの独奏曲とは思えないような大譜表や音型がいたるところに現れる. チェロの可能性を極限まで追求した画期的な傑作であると思う.
 
 童声合唱や女声合唱の作品なども比較的親しまれており, 中でも《
ハンガリー詩篇》(1923)や 23ミサ・プレヴィス》(1950)の精神性の深さは特に聴く者を魅了する.
 
 コダーイは, 単なる作曲家ではなく優れた教育者としても活躍した人物であった. 彼の生涯は作曲と音楽教育のために費やされている. 晩年には国際音楽教育委員会の会長を務め, 国内外を問わず最高の指導者として活躍した. バルトークは国外に亡命したのであるが, コダーイは最後まで祖国を見捨てなかった. その篤い人望は, ハンガリー動乱の際に国の大統領に推挙されるほどであったという.
  

 
イタリアの近代音楽
レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879-1936, イタリア)
 イタリアの作曲家からはレスピーギを採りあげよう. 彼の作品でもっともよく知られたものと言えば, もちろんローマ三部作であろう. 最初の 2 作品《ローマの噴水》(1916)と 24ローマの松》(1924)は, フランス印象派の影響が強く, ローマの情景を楽章ごとにきわめて精緻に描写している. R. コルサコフや R. シュトラウスを規範とした巧妙な管弦楽法が特に耳を引く. このような彼の音楽について「内面性や劇的な表現に欠ける」という批判を見かけたことがあるが, そもそも彼自身はそのような音楽を目指していないのであるから, これは的はずれな批判と言うべきであろう. 思想性の豊かな多くのドイツ音楽に対して「フランス風の洒脱さが不足している」と批判するのと同様である. これに対して, 最後の《ローマの祭》(1928)になると, 均整のとれた枠組が崩れ, 原始主義のような粗暴な性格が現れてくるところがおもしろい.
 
 作品によってさまざまな作風が現れる彼の音楽であるが, 例えば《噴水》と同時期に書かれた室内楽曲『
ヴァイオリン・ソナタ』(1916)は, ロマン派風の叙情性で豊かに彩られている.《ローマの松》と同時期に書かれた《教会のステンドグラス》(1925)や《ミクソリディア旋法のピアノ協奏曲》(1925)では, 前者のグレゴリオ聖歌や後者の教会旋法, さらには, ヴァイオリン独奏と管弦楽のための《秋の詩》(1925)のロマン派風の叙情性など, これもまた三部作とはまったく異なる作風を見せている.
 
 このような一種の擬古趣味的な作風の音楽は彼の作品群の中では比較的多く見られ, その中には,『
組曲》』(1927)や, 25リュートのための古風な舞曲とアリア》全 3 集(1917, 23, 31)や 26ボッティチェルリの 3 枚の絵》(1931)などの傑作がある.
 
 《
リュートのための古風な舞曲とアリア》は, 第 1 集と第 2 集は楽章ごとに異なる楽器編成をもつ(第 3 集は弦楽合奏のみ). 三部作に比べて編成の規模は小さく, スコアはかなり簡潔な書法によっているが, その響きはレスピーギならではの繊細で美しい響きに満ちている. 特に, 第 1 集の第 2 曲「ガリアルダ」と第 2 集の第 2 曲「田園舞曲」のノスタルジックな楽想が何とも言えず味わいぶかい.
 
 《
ボッティチェルリの 3 枚の絵》は, 1 管編成の室内楽オーケストラ用の作品であるが, ハープ, ピアノ, チェレスタを含めた華麗で精緻な管弦楽法によって聴く者をたちまち虜にする美しい響きにあふれている. 中でも, 第 2 曲「東方博士の礼拝」におけるオリエンタル風の旋律と中間部(RM 18-21)のノスタルジックな雰囲気は大変に魅惑的であろう.

 他にも, ドビュッシーの《夜想曲》や《映像》の影響を想わせる《
ブラジルの印象》(1927), あるいは, 《風変わりな店》(1918)や《シバの女王 ベルキス》(1931)などの印象的な楽想と巧みな管弦楽法にも惹かれる. 音楽史上から見れば特にこれといった業績は見られないが, 魅惑的な色彩感に満ちた異国情緒あふれる叙情性にレスピーギの音楽の真骨頂があるように思う.
  

 
ドイツ周辺の近代音楽
シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874-1951, オーストリア)
 シェーンベルクは, 12 音技法の創始者として 20 世紀音楽全体に大きな影響を与えた人物であった. 彼は, 若い頃にツェムリンスキー(Alexander von Zemlinsky)に学んだ. この師匠は,《人魚姫》(1903)に見られる通りロマン派の作風をもつ作曲家であり, シェーンベルクも初期には後期ロマン派の調性音楽を書いている. しかし, その後は 4 度堆積和音や全音音階, 半音階的和声進行を用いるようになり,「拡大された調性」から「解決されない不協和音」へと徐々に調性音楽を離れていく. 12 音技法におけるさまざまな技法を研究し発案した彼であるが, 後年になると調性音楽への回帰も見られるようになる. 彼は 12 音音楽を調性音楽に敵対するものと考えたわけではなく, むしろ融合しうるものと考えていたらしい.
 
 彼の風貌を見るとやや神経質で理窟っぽく頑固そうな様子がうかがえるのであるが, 実際の人物像もそれに近かったようである. マーラーと険悪な関係になっては和解したり, 祝宴のスピーチで場違いな 12 音技法試論を始めて司会者に制止されたり, 12 音技法の創始者として他の人物の名を挙げた作家トマス・マン(Paul Thomas Mann)に文句を付けたりと, 種々の逸話が残っている. また, 彼の名前 Arnold のアナグラムである Ronald や Roland を息子たちの名前に付けた点などは, 12 音技法における移置型を想わせる. また, 作風の上ではまったく相容れない作曲家ガーシュウィン(George Gershwin)が親しいテニス仲間であったことは, 彼の意外な一面と言えよう.
 
 管弦楽曲では, 2 つの『
室内交響曲』(1906-1933)や《ペレアスとメリザンド》(1903)などが初期の調性音楽時代の産物で親しみやすい. 無調の『5 つの管弦楽曲』(1909)や 12 音音楽の『管弦楽のための変奏曲』(1928)などは,(初期の作品ほど親しみやすくはないが)興味を感ずる作品である.『ヴァイオリン協奏曲』(1936)や『ピアノ協奏曲』(1942)は, すでに 12 音技法を自家薬籠中のものとした彼が調性音楽とあわせて円熟した技法を存分に発揮した作品になっているし, 室内楽曲では, 弦楽合奏のための《浄夜》(1899)や 4 つの『弦楽四重奏曲』(1905-1936)がよく知られている.
 
 その他, 舞台作品として《
期待》(1909)と《幸福な手》(1913)とが残されているが, これは内容的にも音楽的にもさほどの興味を引かない. 本格的なオペラ《モーゼとアロン》(1932)はよくできた作品であるが, 残念ながら未完である. 声楽作品では, 歌曲《月に憑かれたピエロ》(1912)や《ナポレオン頌歌》(1942),《3 つの風刺》(1925)などには, 彼の個性がよく現れているように思う.
 
 しかし, ここでは, オラトリオ 27
グレの歌》(1911)を選んでおく. 自筆譜に 50 段にも及ぶ特注の五線譜を用いて 5 管編成を軽く超える巨大編成で書かれており, 出版譜においても 44 段という箇所が見られる(第 1 部の終結部). 作曲に 1 年, オーケストレーションに 10 年を費やしていることに鑑みれば, 彼がいかに管弦楽の色彩感を重視したかが理解されよう. この作品に見られる巧みな管弦楽法は, この曲を指揮者として初演したシュレーカー(後述)の管弦楽法にも少なからず影響を与えたのではないかと思われる.
 

 
ベルク(Alban Berg, 1885-1935, オーストリア)
 シェーンベルクを師とし, 彼と共に 12 音技法の開発に携わったベルクは, 師以上にこの技法と抒情性との融合を目指した作曲家であった. 寡作家であるが, その多くは完成度の高い傑作として今日に伝わっている. 穏やかで内向的な性格であったらしいが, その作品は訴える力に富んだものが多い.
 
 2 つのオペラ《
ヴォツェック》(1922)および《ルル》(1935)では, 迫力をもって聴かせる多様な音楽が盛りこまれており, 彼がオペラを構成する優れた力量を有していたことがうかがえる. 主要人物に対して同一のセリーに基くライトモチーフを割りあてた後者は, 内容的にも技法的にもベルクの総決算とも言えよう. アルマ・マーラー(Alma Mahler)の娘の死を悼んで 28ヴァイオリン協奏曲』(1935)を急遽作曲することになったため, 残念ながら未完に終わってしまった.
 
 その『ヴァイオリン協奏曲』では, バッハの『カンタータ 第 60 番「おお永遠よ, 汝おそろしき言葉よ」』(1723)の終曲で用いられているコラールが引用されているのであるが, すでに自身の死を予期していたのであろうか. スコアを検討すれば, このほかにもベルク自身の白鳥の歌となることを自覚して作曲したと考えられる部分がいくつも見受けられるのである.
 
 管弦楽作品では, 他に『
3 つの管弦楽曲』(1915),《室内協奏曲》(1925),『《ルル組曲』(1934)などがあり, 室内楽作品では,『ピアノ・ソナタ』(1907),『弦楽四重奏曲』(1910),『抒情組曲』(1926)などがよく知られている. この『抒情組曲』には, 彼が当時恋仲であったハンナ・フックス(Hanna Fuchs)に贈ったスコアの書き込みから, 彼の好んだ音名象徴が含まれていることが明らかになった. フランクフルト学派の社会哲学者でベルクの弟子でもあったアドルノ(Theodor Ludwig Adrno)は, 二人の関係やこの曲の構成に関する詳細を当時から知っていたらしい. また, 声楽作品には,《若き日の歌》(1905)や『7 つの初期の歌曲』(1925)などの抒情的で親しみやすい小品集や,『4 つの歌曲』(1909)や《アルテンベルクの絵葉書による歌曲》(1912)などの優れた作品集がある.
 
 なお, シェーンベルクやベルクと並ぶ作曲家にヴェーベルン(Anton von Webern)がいる. ブーレーズ(前述)やシュトックハウゼン(前述)などの現代作曲家の先駆者として挙げられるほど音楽史上では比較的重要な作曲家であるが, その作品は高密度であるにしても小品がほとんどであり, ここに挙げるべき名曲として該当するものを見出せなかった. したがって本稿では割愛することにしたい.
 

 
シュレーカー(Franz Schreker, 1878-1934, オーストリア)
 作曲のみならず指揮でも活躍したシュレーカーの名は, わが国ではほとんど知られていない. 前述した通り,《グレの歌》の初演は彼の指揮によっている. ヴァーグナーや R. シュトラウスなどの後期ロマン派, ドビュッシーなどの近代フランス印象派などの要素を含め, さまざまな様式を自家薬籠中のものとして独自の作風を構築した彼の音楽は, 大変に艶やかで色彩感にあふれている.
 
 初期の作品『
間奏曲』(1900)には, ブラームス(前稿参照)の影響を受けつつも, シュレーカーらしい官能的な叙情性がすでに見られる.《皇女の誕生日》(1908)や《緩やかなワルツ》(1908),《》(1909)などの美しい舞踊音楽を書いた後, 初期の傑作, すなわち幻想的な舞踊劇《ロココ》(1909)を作曲した(作曲時期を同じくしたゆえであろう,《風》と《ロココ》には共通の楽想が現れる).
 
 その後,《
遙かなる響き》(1912)や《烙印を押された人々》(1918),《宝さがし》(1920)などのオペラで, シュレーカーは R. シュトラウスに匹敵するオペラ作曲家として注目を集めた. これらの作品は, 豊饒な極採色とでも言うべき変幻自在な響きをもつ管弦楽法を特長としている(「管弦楽の魔術師」ラヴェルでさえ, 彼のスコアには強い関心を示したという).
 
 彼の作品からは, 29
室内交響曲』(1916)を選ぼう. これは, フルート, オーボエ, クラリネット, ファゴット, ホルン, トランペット, トロンボーン, ティンパニ, 打楽器, チェレスタ, ハープ, ハーモニウム, ピアノが 1 人ずつ, ヴァイオリン 4 人, ヴィオラ 2 人, チェロ 3 人, コントラバス 1 人の計 23 人の独奏者による小編成の作品である. それは, 第 2 楽章の中間部(RM 18)や第 5 楽章の終結部(RM 57)などをはじめ, 幻想的で官能的な楽想と和声, 鮮やかな色彩で豊穣な響きに満ちている. 管弦楽法のすばらしさもさることながら, 次々に現れてはうつろいゆくその華麗で変幻自在な和声進行は, 滑空するパラグライダーから色鮮やかな絶景を次から次へと目の当たりにしていくかのごとくである.
 
 類まれなる才能のもち主であったシュレーカーであるが, 出自がユダヤ系ということで晩年にはナチスによる迫害を受け, 音楽大学の職や自作品の演奏機会を奪われるなど, 悲運に見舞ながら病死したのであった.
 

 
ヒンデミット(Paul Hindemith, 1895-1963, ドイツ)
 ヒンデミットは, シェーンベルクやベルクなどの新ウィーン学派とは異なる方向性をもって新境地を拓いた. 優れた作曲家であるのみならず優れた演奏家ないし教育家としても知られた彼は, 自ら構築した確固たる芸術理論をもっていた.「音楽は哲学的思考の所産である」と述べる彼の理論は, さながらドイツ哲学の様相を呈するものである.
 
 彼の作品は, バッハやブラームスのような緻密な書法をもちながらも作風自体には重苦しい雰囲気はなく, むしろ格調の高い澄んだ明るい響きを特長とするように思う. 訴える力に乏しいという識者もないわけではないが, 作曲家が何を目指していたかをまずは理解すべきであろう.
 
 彼の作品からは, やはり, 代表作である 30
交響曲画家マティス》』(1934)を選びたい. これは, 発表とともに大好評を博したが, その内容によってナチス政府に目をつけられ, 結果として彼はアメリカ亡命を余儀なくされることになる(ヒンデミット事件). その直接の原因となった同名のオペラ自体は, 今のところ残念ながら観る機会を得られていない. また,《気高き幻想》(1938)(原曲はバレエ),『交響曲 変ホ調』(1940),《ヴェーバーの主題による交響的変容》(1943),『交響曲世界の調和》』(1951)(原曲はオペラ),《ピッツバーグ交響曲》(1958)など, 彼の管弦楽作品には優れたものが多い.
 
 彼は大変な速筆家であった.《画家マティス》(交響曲版)を 2 週間で書きあげ, オペラ《今日のニュース》(1929)にいたってはわずか 10 日間で仕上げたという. それでいて, 彼の自筆稿は驚くほど美しく清書されている! 速筆家は同時に多作家となる. 知られているものに限っても, オペラが 9 曲, バレエや劇や映画のための音楽が 8 曲, 協奏曲が十数曲, ピアノやヴァイオリンやチェロに始まり, イングリッシュ・ホルンやサクソフォンやチューバなどのソナタまで書いている. 加えて声楽曲が 50 曲以上…….
 
 無論, 私はそれらのすべてを聴いているわけではないが, 好んで聴く音楽として,『
ヴィオラ協奏曲白鳥を焼く男》』(1936), 『ヴァイオリン協奏曲』(1939),『ヴィオラ・ソナタ ヘ調』(1919),『室内音楽 第 1 番』(1921), 歌曲《マリアの生涯》(1923)を挙げておこう.
 

 
オルフ(Carl Orff, 1895-1982, ドイツ)
 ヒンデミットと同年に生まれたオルフは, 劇音楽と音楽教育の分野で本領を発揮した. 29 歳で舞踊師のギュンター(Dorothee Günther)とともに新たな学校を設立し, 同校の音楽教育部教授として舞踊と音楽を結合した新しいリズム教育を唱導した. 教育音楽《ムジカ・ポエティカ》(1935, 1954)はその産物である.
 
 出世作である世俗カンタータ 31
カルミナ・ブラーナ》(1936)で, 中世の民謡や歌謡を劇的なリズムを主体として蘇らせた. 3 管編成の管弦楽に加え, 大量の打楽器, 2 台のピアノに二群の混声合唱と児童合唱に 2 人の独唱といった巨大な編成であるが, スコアにおける単純で明快なテクスチュアは, ホルスト(前稿参照)の『惑星』(1916)を彷彿とさせる.
 
 中学生の頃, 伯母が所属する合唱団の演奏会で初めてこれを聴いた. 歌詞の内容はまったく印象に残らなかったが, その独得なリズムや和声を執拗に繰りかえす音楽に強烈なインパクトを受けたことはよくおぼえている.
 
 第 1 曲「おお, 運命の女神よ」冒頭部から, 圧倒的な迫力をもって感情を爆発させる大合唱が鳴り響く. 第 6 曲「舞踊曲」や第 22 曲「今こそ愉悦の季節」などのように劇的なリズム中心の音楽があるかと思えば, 第 15 曲「愛神はあちらこちらを飛び回る」や第 21 曲「天秤棒を心にかけて」など静かに深く心に沁みわたるような美しい音楽もあり, 第 3 曲「春の愉しい一面が」や第 12 曲「昔は湖に住んでいた」のような幻想的で神秘的な音楽もある. 第 23 曲「アヴェ, 極上の美しい女神」の華やかな讃美(グロッケンシュピールが 3 台用いられる)からタムタムが盛大に鳴り響く終曲「おお, 運命の女神よ」冒頭にかけては, この曲のもっとも感動的な場面を演出する.
 
 これは, カンタータ三部作《
トリフォンティ(勝利)》の第 1 作にあたる. 他の 2 作《カトゥーリ・カルミナ》(1930),《アフォロディーテの勝利》(1951)は, 第 1 作と比較すると(歌詞の低俗ぶりは目をつむるにしても)音楽的に二番煎じの感が強く, 耳を引く音楽はそれほど多くはない.
 
 他の劇音楽は,《
》(1938)や《賢女》(1941)などの童話芝居,「世界劇」と称される《ベルナウアーの女》(1947),《キリストの誕生》(1960),《アンティゴネ》(1949),《エディプス王》(1959),《プロメテウス》(1968),《時の終わりの劇》(1973)などが存在するが, わが国ではほとんど演奏されることはない. 初期の管弦楽曲《踊る牧神》(1914)は, 彼の本懐とはかけ離れた作品であろうが, ドビュッシーを想わせる幻想的な響きが美しい.
 

 
コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897-1957, オーストリア)
 数々の傑作オペラや映画音楽で活躍したコルンゴルトは, 幼い頃から卓越した音楽的才能を示してマーラーや R. シュトラウスを驚嘆させた. 実際, 2 曲の『ピアノ・ソナタ』(1908, 1910)に代表される初期のピアノ曲では調性を浮遊させるような複雑な和声を聴かせ, 23 歳で書き上げた歌劇死の都》(1920)のスコアにおいて, 彼は, R. シュトラウスなみの巨大編成と細部まで計算された緻密な書法を見せている.
 
 彼の才能は, ジャンルや作曲年代により自由自在な手法を操ったところにあると言えよう. 初期の『
シンフォニエッタ』(1912)は R. シュトラウスを彷彿とさせる官能的な叙情性を見せる傑作である. ヴィトゲンシュタイン(Paul Wittgenstein)の委嘱による『左手のためのピアノ協奏曲 嬰ハ調』(1923)は印象派風の繊細で軽妙な楽想を特徴とし, 後期の『交響曲 嬰ヘ調』(1952)はストラヴィンスキーの交響曲を想わせる晦渋で原始的な響きを特徴とする.
 
 室内楽曲では,『
ピアノ三重奏曲 ニ長調』(1910)や『ピアノ五重奏曲 変ホ長調』(1923)の叙情的で清澄な和声が聴く者の心に深く響くであろう. この 2 作品ほどポピュラーではないが, 3 曲の『弦楽四重奏曲』に通底する簡素で美しい和声も見すごせない.
 
 初期の歌曲『
別れの歌』(1921)は彼独特の「予期せぬ転調の継続」が全曲を支配する思索的な歌曲である.『3 つの歌曲』(1929)を架け橋として,『道化師の歌』(1937)や『シェイクスピアによる 4 つの歌曲』(1941)のような明快で親しみやすい歌曲にも心惹かれる.
 
 シュレーカーと同様, ユダヤ系ということでアメリカに亡命したコルンゴルトは, ハリウッド映画音楽の基礎を築いた.《
風雲児アドヴァーズ》(1936)と《ロビンフッドの冒険》(1938)でアカデミー作曲賞を受賞した彼は, 自分の映画音楽を純粋な管弦楽曲にも転用したのであった. その代表例が, アルマ・マーラー(前述)に捧げられた 32ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』(1945)および『チェロ協奏曲』(1946)である.
 
 私は彼が音楽を手がけた映画自体は観ていないが, 音楽はいわゆる後のハリウッド映画音楽そのものであり, その華麗で芳醇な旋律と和声は聴く者を大いに惹きつける魅力的をもつ. コルンゴルトが後に低い評価に貶められたのはこの映画音楽に手を染めたためであると言われるが, 彼は正にこの分野において独自の世界を築いたのであり, その稀代の才能は高く評価されるべきであると思う.
  

 
ロシア・東欧の近代音楽
ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich, 1906-1975, ロシア)
 ショスタコーヴィチをはじめとするソヴィエト時代の作曲家には, 当時の社会政策(文化芸術イデオロギーの強化)により作風の強制を余儀なくされた者が少なくなかった. 本意でない作品を書かされたり, 逆に発表した作品を撤回ないしお蔵入りにせざるをえなかったり, といったことが少なからずあったのである. ショスタコーヴィチも, その晩年には自作の交響曲について「墓碑」と表現したり,「常に異端者であれ」と若きグバイドゥーリナ(Sofia Gubaidulina)にアドヴァイスをしたりしている.
 
 自由な作曲環境ではなかったにもかかわらず, 実に多くの分野におびただしい数の作品を残した点については驚くばかりである. その多くは音楽的に成功し, 完成後はただちに演奏され出版されている(彼の作品の多くがわが国でも出版されているという事態はやや特殊な事情によるのであるが).
 
 『
交響曲 第 7 番レニングラード》』(1941)や『交響曲 第 13 番バビ・ヤール》』(1962)を含む交響曲が 15 曲,『弦楽四重奏曲 第 8 番 ハ短調』(1960)に代表される弦楽四重奏曲が 15 曲,『ピアノ協奏曲』(1933, 1957),『ヴァイオリン協奏曲』(1948, 1967),『チェロ協奏曲』(1959, 1966)が 各 2 曲,『ヴァイオリン・ソナタ』(1968),『チェロ・ソナタ』(1934),『ヴィオラ・ソナタ』(1975)を含む室内楽曲が多数,《》(1928)や《ムツェンスク郡のマクベス夫人》(1934)に代表される歌劇が 6 作品,《黄金時代》(1930)や《ボルト》(1931)に代表されるバレエ音楽が 4 曲, 加えて映画音楽が 30 作以上, 劇音楽が 10 曲, 等々…….
 
 作品は濃密でインパクトのある主題と簡潔な書法や簡素な楽器編成を特長とし, 叙情的なものから前衛的なものまで, 重く暗い主題からジャズを含む軽妙な内容のものまで存在する. 一方, この多作家は(ヒンデミットと同様)速筆家でもある. 彼の作曲の筆の速さは驚くべきもので,《
タヒチ・トロット》(1927)の(短いながらも卓越した)オーケストレーションを小一時間で終わらせたり, 管弦楽曲《5 つの断章》(1935)をわずか 1 日で仕上げたり…….
 
 モスクワ音楽院の教授であった彼は, 日中の大半を公的な活動に費やし, その合間に睡眠時間を削って作曲をこなす. 新聞や雑誌には毎月のように評論や随筆を執筆し, コンクールの審査員もたびたび務めている. 精力的に活動した彼の険しい風貌には, 並々ならぬ神経質と性急さが現れているように思う. 彼のせっかちは有名であった. おそらくそのせいであろう, 結核や複数回におよぶ骨折と心筋梗塞, 小児麻痺や肺癌など, 身体的な障害にも数多く見舞われたという.
 
 そのような彼の作品の中で私が比較的好んで聴くのは, 上記作品のほか,《
祝典序曲》(1954), オラトリオ森の歌》(1949), ピアノ曲『24 の前奏曲とフーガ』(1951)などであるが, 代表作はやはり 33交響曲 第 5 番 ニ短調』(1937)であろう. 私がこの曲に出会ったのは小学校 5 年生の頃であった. 父親が所有していた音楽之友社版のスコアを見ながら全曲を暗譜するまで聴き込んだ記憶がある.
 
 ハープ 2 台にチェレスタやピアノを含む大編成の作品でありながら, トゥッティ以外の部分では必要最小限の楽器しか用いない簡素な書法をもつ. 華美な装飾や余計なものがいっさい削ぎ落とされ, 音楽的にも管弦楽法的にも徹底的に禁欲的であり, 各楽器のソロは楽器の特性が活かされ効果的に鳴り響く. コントラバスに高音部譜表(ト音記号)が用いられていることに驚いたり(RM 26), ハープのハーモニクスとチェレスタの混合色の響きに魅せられたり(RM 96)など, 小学生の私に新鮮な発見を数多く与えてくれたスコアも印象的であった.
 
 今おもえば, 小学生が聴いて憧れるようなたぐいの音楽ではないと思われるが, 当時の私は, 第 1 楽章の中間部や第 4 楽章から行軍の情景を想像し, 未知の社会主義大国ソヴィエトに対して畏怖の念と憧憬の念を同時に抱いていたのであった.
  

 
ペルト(Arvo Pärt, 1935-  , エストニア)
 ショスタコーヴィチは同時代の国内外の多くの作曲家に種々の影響を与えた. 若い時代に彼の影響を受けた作曲家の中にエストニア出身のペルトがいる. しかし, 徐々に作風を変えたペルトは, 12 音などの厳格なセリー技法を経て中世の教会音楽に傾倒するようになり, やがては「鈴鳴らし方式」と称されるような静寂な音楽を聴かせるようになるのである.
 
 吉松隆(前稿参照)は, ペルトの作風に対して「20 世紀最大の Adagio 作曲家」と評している(余談ながら, わが国でこの異名に該当するのは武満徹(前稿参照)であろうか). 一方で, ライヒ(前稿参照)に見られるようなミニマル・ミュージックとの類似点を指摘する向きもあるが, その内実や方向性はだいぶ異なるように思う.
 
 一般に彼の初期の音楽はほとんど知られておらず, 独特の作風を確立した後の作品の方が圧倒的に人気が高い. わが国では, 癒し系の音楽(このような位置づけが適切か否かは疑問であるが)として一部の作品はかなり人気がある. 現代作曲家としては珍しく多くのファンをもつ彼の音楽は, かなりの数の作品が CD 化されている.
 
 3 曲の『
交響曲』(1963, 1966, 1971)をはじめ,《ベンジャミン・ブリテンの追悼》(1977)や《フェスティナ・レンテ》(1988)などの弦楽合奏曲,『チェロ協奏曲賛否》』(1977)や, 第 2 楽章がきわめて美しい《タブラ・ラサ》(1976),《断続する平行》(1976)のような鍵盤楽器作品など…….
 
 しかし, 彼の作品できわだっているのは, やはり声楽作品であろう. 私は 1990 年代に入ってからの彼の作品については不勉強にしてほとんど知らない. したがって, それ以前の作品から選ぶことになるのであるが, たとえば,《
サラは 90 歳であった》(1976), 34ヨハネ受難曲》(1982),《バビロンの川辺で》(1984),《テ・デウム》(1985),《スタバト・マーテル》(1985),《ミゼレーレ》(1989),《ベルリン・ミサ》(1990)などはよく知られているし, 彼の代表作をこの中から選ぶことは決して無理ではあるまいと思う.
  

 
グレツキ(Henryk Górecki, 1933-  , ポーランド)
 しかし, 私自身は, ペルトと同様に多くのファンをもつもう一人の作曲家グレツキの音楽をより好んで聴く. 彼の場合も若い頃はセリーや偶然性など前衛的な手法を中心とした作風で注目されたようであるが, やがて中世音楽や宗教曲に傾倒するようになり, しだいに神秘的で郷愁性の濃い音楽を生み出すようになっていった.
 
 10 年ほど前から急速に知られるようになった 35
交響曲 第3番悲歌のシンフォニー》』(1976)は, もちろん後者に属する作品である.「Lento」と指示された 3 楽章からなる作品で, 中世ポーランドの「聖十字架修道院の哀歌」による第 1 楽章, 第二次大戦中にゲシュタポの独房の壁に爪跡で書かれた少女の祈りの言葉がソプラノ独唱で歌われる第 2 楽章, ポーランドのカトヴィツェ地方の民謡による第 3 楽章からなる.
 
 この曲の白眉はやはり第 2 楽章であろう. 冒頭部から何度も現れる弦楽合奏とハープおよびピアノで奏出される A-dur の響きの美しさ! ソプラノ独唱(B-moll ないし Des-dur)による聴く者の心に深く訴える悲哀きわまるハーモニー!
 
 この作品をはじめ,《
神を信ずる者は幸いなり》(1979)や《広々とした水》(1979),『ミゼレーレ』(1981),《私の灰色のヴィスワ》(1981),《すべてはあなたのもの》(1988)などの声楽作品には, 静謐で美しい響きの中に強い情感を込めているものが多い. 一方, 他の作品には, これが同じ作曲家の作品であろうかと疑問を抱くような作品も少なくない. 前期の作品は無論のこと, 後期の作品でも, たとえば『チェンバロと弦楽のための協奏曲』(1980)や 2 つの『弦楽四重奏曲』(1981, 1991),《クライネス・レクイエム》(1993)などの管弦楽曲は, 上記声楽曲とはその様相がだいぶ異なっている.
 
 また, ペルトと同年生まれの作曲家ペンデレツキ(Krzysztof Penderecki)も,(ペルトほど著しいものではないにせよ)前衛手法から伝統手法へと作風の転換を見せた作曲家の一人である. しかし, ペルトと異なり, 彼の場合は伝統手法へ転換してからの作品には耳を引くものが少ない. むしろ,《広島への犠牲者の追悼のための哀歌》(1961)や《ルカ受難曲》(1967)に代表されるような彼独特のトーン・クラスターを用いた作品の方が聴いていて興味ぶかいことは事実である. とは言え, 現段階での私自身は彼の作品を好んで聴く者ではないので, ここに「名曲」として彼の作品を掲げることはさし控えておく.
 

 
ルトスワフスキ(Witold Lutosławski, 1913-1994, ポーランド)
 グレツキよりも少し前に生まれたルトスワフスキは, 第二次世界大戦とソヴィエトの政治的圧力という過酷な歴史の狭間で独自の書法を確立した作曲家である.
 
 彼の名を一躍有名にしたのは言うまでもなく 36
管弦楽のための協奏曲』(1954)である. バルトークの同名の作品(前述)から 11 年後に書かれたこの作品は, 多かれ少なかれバルトークの影響を受けているであろう. しかし, 管弦楽法はより緻密であり, 自国の民謡に 20 世紀の音楽語法を施したその音楽は大変に完成度が高く, その意味ではバルトークのそれを凌駕していると言えよう.
 
 3 楽章構成であるが, 第 1 楽章および第 2 楽章の演奏時間は全曲の半分(スコア全体の 5 分の 3 頁分)にすぎない. しかし, 音楽がもつ緊張感は聴く者に息をつく間も与えない. 第 1 楽章の主要主題は, 前半部では弦楽器により次々に完全五度上部に重ねられていき, 後半部では木管楽器により次々に完全四度下部に現れてくるというカノンになっている. 第 2 楽章はテンポの速い変拍子の音楽で, 管楽器や打楽器の奏者は高度な技法を披露することになる. 規模の大きい第 3 楽章では, 楽想のもつエネルギーの高揚と鎮静を精密に計算して効果的に演出するのみならず, 前楽章の主題を適材適所に再登場させることで全曲に強固な統一感をもたせている. 音楽的な魅力もさることながら, そのみごとな作曲技法に驚嘆させられるのである.

  一つの書法での成功に満足しなかった彼は, バルトークの追悼に捧げられた《
葬送音楽》(1958)で 12 音技法にアイディアを得た新たな書法を見せ, その後も《ヴェネツィアの遊戯》(1961)から《チェイン》三部作(1983, 1985, 1986)にいたるまで実験的作品を次々と作りつづけたのであった.
 
 「アド・リブ動律」が効果的に採り入れられた《
オーケストラの書》(1968)や『ピアノ協奏曲』(1988)をはじめ,《眠りの空間》(1975),《ミ・パルティ》(1976),『ノヴェレッテ』(1979),『インタリュード』(1989)などもよく知られており, これらも(スコアを検討すれば)その精緻な管弦楽法と緻密に構築された楽曲形式に非常に関心させられるものである.
 
 質の高い実験音楽を創出した功績は比較的早くから認められ, 彼は国内のポーランド作曲家協会賞をはじめとして 10 以上もの数々の賞を受賞することになった. 世を去る前年には, メシアン(前稿参照), ケージ(John Cage)に続いて作曲家としては 3 人目の「京都賞」表現芸術部門受賞者に選出されている.
 

 
アメリカとその周辺の近現代音楽
ヴィラ=ロボス(Heitor Villa-Lobos, 1898-1959, ブラジル)
 ヴィラ=ロボスは, 一応の音楽教育は受けたものの, アカデミズムに染まらない自由闊達な作曲活動を展開した. ブラジル民族音楽をもとに, 大規模な管弦楽曲からギター独奏曲のような小品まで, あるいはバロック風の古典的形式に則った音楽から斬新な不協和音を含む前衛的な音楽まで, 固定された作風をもたない数多くの作品を残している.
 
 14 曲からなる『
ショーロス』には, ギター独奏のための『第 1 番』(1920), フルートとクラリネットのための『第 2 番』(1921), 男声合唱と管楽アンサンブルのための『第 3 番』(1925), 金管アンサンブルのための『第 4 番』(1926), ピアノ独奏のための『第 5 番』など, いずれも小品ながら耳を引く作品が多い. ちなみに『第 6 番』(1926)以降はすべて比較的規模の大きい管弦楽のための作品である.
 
 彼の代表作はもちろん, 9 曲の《
ブラジル風バッハ》であろう. バッハの音楽に比して世俗的ないし俗謡的であるが, それぞれが大変に個性的かつ魅力的な音楽である. その楽想には, バロック的要素, ロマン派的要素, 民族音楽的要素のほか, ジャズやポップス風の要素なども見られ, 編成についても, 2 本の木管楽器, 独唱と 8 本のチェロ, 弦楽合奏, 室内管弦楽など, 多種多様である. ソプラノのヴォカリーズが印象的な《第 5 番》(1938, 1945)が有名であるが, 《第 4 番》(1942)や《第 7 番》(1942),《第 8 番》(1944)などの管弦楽曲もそれに優るとも劣らない魅力をもつ.
 
  協奏曲には, 5 曲の『
ピアノ協奏曲』, 2 曲の『チェロ協奏曲』に加え,『ギター協奏曲』(1951),『ハープ協奏曲』(1953),『ハーモニカ協奏曲』(1955)などが存在する. また, 室内楽には, 4 曲の『ヴァイオリン・ソナタ』, 3 曲の『ピアノ五重奏曲』, 17 曲の『弦楽四重奏曲』など……. その他, バレエや歌劇や映画音楽が数曲ずつ, ギターやピアノのための独奏曲も数多い.
 
 私自身は, 膨大な作品数を誇る彼の作品群のごく一部を聴いているにすぎないが, 本稿では 37
交響曲 第 10 番アメリンディア》(1952)を挙げておく. 彼の交響曲は,(バルトークやストラヴィンスキーの影響を見せつつも)比較的オーソドックスな内容ものが多い. しかし, この曲は 3 人の男声独唱および混声合唱を加え, ブラジル先住民の言語やブラジル公用語のポルトガル語などを用いた壮大なオラトリオの様相を呈する特異な音楽となっている.
 

 
チャベス(Carlos Chávez, 1899-1978, メキシコ)
 ヴィラ=ロボスと同様, チャベスもメキシコ民族音楽をもとに変拍子や民族楽器を用いた独自の音楽世界を構築し, おびただしい数の作品を発表した作曲家であった. わが国ではほとんど演奏されないが, 6 曲の『交響曲』のほか,《馬力》(1932)や『コルキスの娘』(1944)などのバレエ,『ピアノ協奏曲』(1940)や『ヴァイオリン協奏曲』(1950), 歌劇訪問者たち》(1956)などが知られている. その作品群は, 室内楽曲やピアノ曲や歌曲まで含めれば膨大な数に達する.
 
 彼の代表作として知られる 38
交響曲 第 2 番インディオ》』(1936)は, 演奏時間にしてわずか 12 分たらずの作品であるが, 民族色の色濃い旋律と迫力ある変拍子リズムとがもたらす緊密性により聴く者を最後まで飽きさせない牽引力をもつ. 手元にあるシャーマー(Schirmer)版のスコアを見ると, 楽器編成には, インディアン・ドラム, マラカス, メタル・ラトル, ソフト・ラトル, クラヴェス, ラトリング・ストリング, ギロ, ラスピング・スティックという珍しい打楽器が含まれ, スポンジ・スティックを用いる奏法も登場する(RM 47).
 
 学生時代の私は, 書籍蒐集を目的として古書店街のある神田の神保町に頻繁にかよっていた. あるとき, お茶ノ水駅のすぐ近くにあるレコード店で CD を物色していた私は, BGM として流れてきたこの曲に衝撃を受け, すぐに店員に作曲者名および曲名を確認してこの曲の CD を入手したのであった.
 
 『
メキシコの風景』(1973)などのように美しいハーモニーを中心とした管弦楽曲もあるが,《インディオ交響曲》に見られる管弦楽法は, 打楽器のリズムにいくつか旋律線をむき出しで併行させるもので, ハーモニーを極度に削ぎ落とした簡素な書法である. これが, 民族音楽独特の素朴さと強靭な感情表現を表出するのに大きな効果をもたらしているのである.
 

 
アンダーソン(Leroy Anderson, 1908-1975, アメリカ)
 音楽のみならず言語学を修め, 言語学者として活躍した時期もあったアンダーソンは, やがてセミ・クラシックの分野で軽妙洒脱なポップスを数多く発表して世界中に知れわたるようになった. その気品と香気にあふれた音楽は一つ一つが美しい光を放つ宝石にたとえられよう.
 
 彼の音楽はわが国でも広く知られており,《
フィドル・ファドル》(1947)や《そりすべり》(1948),《トランペット吹きの子守歌》(1949),《タイプライター》(1950),《舞踏会の美女》(1951)をはじめ,《ブルー・タンゴ》(1951)や《プリンク・プランク・プランク》(1951),《サンドペーパー・バレエ》(1954),《クラリネット・キャンディー》(1962)などは, いたるところで耳にする音楽である. 給食時に校内に流れた《シンコペーテッド・クロック》(1946)や, 運動会時に校庭に流れた《トランペット吹きの休日》(1954)などを含め, 私自身も小学生の頃から聴き親しんできた音楽である.
 
 小規模な作品が多いアンダーソンが書いた唯一の大規模な管弦楽作品が 39
ピアノ協奏曲 ハ長調』(1953)である. 旋律や和声にはいたるところアンダーソンの特徴をただよわせており, 躍動感と美しい叙情性に富んだ傑作と言えよう. 第 1 楽章は(提示部の第 2 主題が属調で現れるなど)古典的なソナタ形式で書かれ, 展開部にはドミナントの主唱とドッペルドミナントの応唱による短いフゲッタも見られる. ギャロップを想わせる第 3 楽章も同様の古典的ソナタ形式で書かれ(提示部の第 2 主題は下属調で現れる), 再現部の直前には(古典的な形式の協奏曲に多く見られるような))カデンツァがおかれている.
 
 第 1 楽章のあとにも短いカデンツァがあり, その後, アンダーソンでなければ絶対に書けないようなノスタルジックで切ない第 2 楽章が始まる. ラフマニノフの『ピアノ協奏曲 第 2 番 ハ短調』やラヴェルの『ピアノ協奏曲 ト長調』の第 2 楽章と同様の調性(E-dur)で, これらの傑作と同様, アンダーソンのこの音楽も聴く者を恍惚とさせる美しさをもつ.
 
 アンダーソンは, 2 回演奏された後, この作品をお蔵入りにしてしまったという.「珠玉の小品」作曲家として, このような大作は不釣り合いと考えたのであろうか.
 

 
バーバー(Samuel Barber, 1910-1981, アメリカ)
 アンダーソンとは作風はまったく異なるが, 気品ある親しみやすい作風で知られる米国作曲家と言えばバーバーであろう.「20 世紀最後のロマンティスト」と称される彼に対する音楽史上の評価は, 一般的にはあまり芳しくないように思う.「ネオ・ロマン主義の作曲家」なる評価などはまだ良い方であり, 大抵は「革新性の低い保守的な作曲家」という否定的な評価にとどまっている.
 
 20 世紀の作曲家の多くは, 無調音楽, 偶然性音楽, 電子音楽といった前衛的な方向へと圧倒的な急流をもって進んだ. ケージ(前出), ツィンマーマン(Bernd Alois Zimmermann), クセナキス(前出), リゲティ(György Ligeti), ノーノ(Luigi Nono), ベリオ(Luciano Berio), シュトックハウゼン(前出), カーゲル(Mauricio Kagel), ラッヘンマン(Helmut Lachenmann)などに代表されるような多くの作曲家が次々と前衛的書法を展開して目ざましい活躍を見せたのである. とは言え, 彼らの音楽史上の評価が後年まで持続するか否かは疑問であるが…….
 
 そのような時代の中, バーバー自身も,『
交響曲 第 2 番』(1944)のような一時的な気の迷いともとれるような作品を発表したこともあったが(この作品は彼自身の反省をもって後年に大幅な改訂が施された), 全体的には前衛志向とは異なる土俵でさまざまな優れた作品を生み出していったのであった.
 
 保守的と言われつつも, 彼は若い時代から華々しい成功を得て, 晩年までそれを保持しつづけた幸福な作曲家であったことは間違いない. トスカニーニ(前出)の初演による『
弦楽のためのアダージョ』(1937)(原曲は『弦楽四重奏曲 第 1 番』(1936)第 2 楽章)や『管弦楽のためのエッセイ 第 1 番』(1937)で彼の名は世界中に広まったのであるが, それ以前にも, 短いながらも抒情性にあふれた『交響曲 第 1 番』(1936)を発表している.
 
 また, 協奏曲には, ピアノ, ヴァイオリン, チェロを独奏とするものが各 1 曲ずつ存在し, フルート・オーボエ・トランペットと弦楽合奏のための《
キャプリコーン協奏曲》(1944)も知られている. いずれも優れた作品であるが, ここでは, 第 1 楽章の甘い郷愁性と第 3 楽章の張りつめた緊迫感とを聴きどころとする名曲 40ヴァイオリン協奏曲』(1940)と, バルトークやプロコフィエフを想わせるアグレッシヴな第 1 楽章と第 3 楽章の間に神秘的な叙情性を聴かせる 41ピアノ協奏曲』(1962)を, ともに私が好んで聴く音楽としてここに挙げておきたい.
 
 そのほか, よく知られた曲として,『
ピアノ・ソナタ』(1948)や《隠者の歌》(1953)も忘れてはならないし, 独唱と管弦楽のための《ノックスヴィル, 1915年の夏》(1947)の旋律や和声の美しさもまた格別なものであり, ともにここに明記しておく.
 

 
ヒナステラ(Alberto Ginastera, 1916-1983, アルゼンチン)
 ヒナステラの作品との出会いは, 学生時代にピアノの恩師から 3 曲の『ピアノ・ソナタ』(1951, 1981, 1982)の存在を教わったことが最初である. これらの野性的かつ原始的な響き,《アルゼンチン舞曲》(1937)や《クレオール舞曲》(1946)などの密度の高い簡潔な響きは聴く者を夢中にさせるものである. ただし, 演奏にはかなり高度な技法を要する.
 
 彼の協奏曲は,『
ハープ協奏曲』(1959)と 2 つの『ピアノ協奏曲』(1961, 1972)がよく知られている. バレエでは, やはり《エスタンシア》(1941)がすばらしい. 組曲版が有名であるが, 全曲版もわずか 30 分程度の演奏時間にすぎない. 活気あふれる民族舞踊や純朴な情景描写など, 魅力的な音楽が次々に現れ, 聴いていて大変におもしろい作品である.
 
 バレエにはもう一つ《
パナンビ》(1937)があり, 管弦楽曲には《オランタイ》(1947)や《交響的パストラール》(1954),《カザルスの主題による変奏曲》(1977)などがある. これらはほとんど知られていない作品であるが, ここでは, その中の一つ 42協奏的変奏曲』(1953)を採り上げておきたい. 各変奏曲ごとに各パートが高度な技法を要求されるため, 演奏者には不評のようであるが, 聴者としてはバルトークを想わせる民族音楽的な響きが新鮮で興味ぶかい作品である. わが国では, 一昨年(2002 年)末になってようやくデュトワ(Chales Dutoit)と NHK 交響楽団による日本初演が行われた.
 

 
J.C. アダムズ(John Coolidge Adams, 1947-  , アメリカ)
 前稿では, ミニマル音楽に位置づけられる作曲家としてライヒの名を挙げた. この分野の作曲家には, 他にも, ヤング(La Monte Young), グラス(Phllip Glass), ライリー(Terry Riley)などが知られている. 本稿では, 彼らより少し後の世代となるアダムスの名を挙げよう. ライヒほどではないにしても, 私は彼の音楽も好んで聴く者である. 彼の音楽は, ミニマリズムを基軸としつつも未来志向的な明朗性と起伏に富んだ情動性とをあわせもったものが多く, 聴いていて爽快な心地が得られる.
 
 《
中国のニクソン》(1987)や《クリングホファーの死》(1991)などのオペラ(新作オペラ《ドクター・アトミック》は来年(2005 年)度に完成予定)をはじめとして,《大ピアノラ音楽》(1982),《和声学》(1985),《包帯係》(1988),《エル・ドラド》(1991),『ヴァイオリン協奏曲』(1993), オラトリオエル・ニーニョ》(2000)(これが昨年(2003 年)に日本初演されたことは記憶に新しい)などの管弦楽曲や声楽曲がよく知られている.
 
 彼の作品の中で私が特に好んで聴くのは 43
シェイカー・ループス》(1977, 1983)である. 前稿で述べた通り, 学生時代にライヒの《管楽器・弦楽器・鍵盤楽器のための変奏曲》を知って CD(エド・デ・ワールト指揮, サンフランシスコ交響楽団)を入手した際, それとともに《シェイカー・ループス》も収められていたのである. そこでこの曲の魅力にも取りつかれた私は, アダムスの作品についても CD およびスコアをできる限り蒐集することになったわけである.
 
 曲は 4 つの部分から構成されるが, 全曲は切れ目なく演奏される. その間, 同一音のトレモロ(いわゆる「刻み」)または 2 音間のトレモロが全曲を支配し, 聴く者に相応の緊張感と集中力を要求する. C-dur(記譜上は G-dur)から始まり, その後, F-dur, Des-dur, B-dur, ……のように調性が次々に他の調性へとごく自然に接続され, その美しい響きは聴く者を魅了するであろう.
 
 また, 管弦楽に混声合唱を含む 44
ハーモニウム》(1981)もすばらしい. 100 名の管弦楽奏者と 200 名の混声合唱団を要する作品で, 息の長い楽想をもつ壮大な音楽である.「息の長い」とは, 演奏時間に 10 分を要する第 1 曲について, アダムス自身が「(静寂から始まる)開始部分は連続的に次第に高揚し, 約 10 分後には和声的頂点に到達するように音楽的構造を稼働させる. 音楽は恒常的に興奮状態になる.(詩の内容の頂点に合わせて)全体的な密度は高められていく」と述べていることに由来する. ミニマルを基軸としつつも純粋なミニマル音楽には見られない感情の起伏を自在に表出する点に, アダムスの真骨頂があるのである.

 幻想的なピアノ独奏曲《
フリギアン・ゲート》(1977), 静寂に包まれた弦楽合奏を背景に語り出す《クリスチャン・ジール・アンド・アクティヴィティ》(1978), 武満徹(前稿参照)の《リヴァラン》への応答として作曲された小管弦楽のための《エロス・ピアノ》(1989)などは, 言語に尽くせない極上の美しさをもつ音楽であり, 聴くたびに恍惚とさせられる. また, 電子音楽《フードゥー・ゼファ》(1992)の神秘的な音響世界にも大いに魅力を感ずる.
 
 また, 2 つのファンファーレ《
トロンバ・ロンターナ》(1986)と《ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシン》(1986)の華麗な響きも絶品である. 後者は,"Delirando" と指示された驚異的な速さのテンポを一気に駆け抜けるような音楽で, その前半部では変拍子を含めた複雑なリズムを正確に刻み, 後半部では金管楽器奏者が高音を連続して奏出することになるという点で, 奏者にかなり高度な演奏技術を要求する曲である.
 

 
イギリスの近現代音楽
エルガー(Edward Elgar, 1857-1934, イギリス)
 比較的よく知られているイギリス作曲家には, すでに述べた, エルガー, ホルスト, V. ウィリアムズ, ブリテンのほか, バックス(Arnold Bax), バークリ(Lennox Berkeley), ティペット(Michael Tippett)がいる. しかし, 本稿ではこれらの作曲家は割愛することにして, エルガーとウォルトンの二人を挙げておきたい.
 
 エルガーが婚約者に送った逸品《
愛の挨拶》(1888)やイギリスの第 2 国歌として愛唱される《威風堂々 第 1 番》(1901)は, 彼の作品の中ではもっとも広く親しまれているものであろう. 音楽的な才能には恵まれていたものの長期間にわたって音楽界からは冷遇されていた彼は, 40 歳をすぎてから 45エニグマ変奏曲》(1899)でようやく国内外でその名を知られるようになった.
 
 14 種の各変奏には彼と近しい人物のイニシャルが「エニグマ(謎かけ)」として明記されている. これらは後に具体的な人物が推定されているが, 第 13 変奏はイニシャルすら伏字にされているため, 未だに人物の特定ができていない. とは言え, 私はこのような「謎かけ」を追究することには何の興味も感じない. この作品の価値は, 独創主題がもつ気品にあふれた美しさ, その変奏の巧妙さと発想の多様性, そこにこそ存在するように思う.
 
 《エニグマ変奏曲》以降, 彼は管弦楽作品を中心に傑作を次々と発表する.
オラトリオゲロンティアスの夢》(1900), 演奏会用序曲《コケイン》(1901)および《南国にて》(1904), 指揮者リヒター(Hans Richter)が絶賛初演した『交響曲 第 1 番 変イ長調』(1908), エルガー自身の初演による『交響曲 第 2 番 変ホ長調』(1911)など……. その管弦楽法はブラームス(前稿参照)やドヴォルザーク(Antonín Dvořák)の影響が色濃く表れていると言えよう.
 
 『
ヴァイオリン協奏曲 ロ短調』(1910)や『チェロ協奏曲 ホ短調』(1918)の悲しげで切ない叙情的な旋律と和声は, 聴く者の心に強く訴えるであろう. 前者は長大な演奏時間と高度な演奏技術を要するために演奏頻度はかなり低いが, エルガーの音楽の魅力が全曲にわたってにじみ出ている魅力的な音楽であると思う.
 

 
ウォルトン(William Walton, 1902-1983, イギリス)
 ウォルトンは, ブリテンほどではないにせよ 20 世紀のイギリスを代表する作曲家と言ってよい. ともに, 若い時代から次々に名作を発表した作曲家であったが, 積極的に新手法の開発を志していた若きブリテンは既手法で堅実な作風をもつウォルトンを批判の目で見ていたという. ブリテンのみならず, 次第にイギリス音楽界全体がウォルトンの音楽を保守的で時代錯誤なものという認識を強めていったのである. しかし, ウォルトンは, 自己の信ずるところを一心に貫き, 独創的かつ抒情的で親しみやすい作風で独自の地位を築き上げたのであった.
 
 彼は, ブリテンのような多作家ではなかった代わりに, 映画音楽を含めて 1 曲 1 曲を丹念に仕上げた. 実際,《
ヘンリー五世》(1944),《ハムレット》(1947)に代表される 10 曲以上の映画音楽では, 他の管弦楽曲と同等またはそれ以上の手腕が発揮されている.
 
 管弦楽曲は, 有名な《
ポーツマス・ポイント》(1925)をはじめとして, 2 つの『交響曲』(1935, 1959),《ファザード組曲》(1926, 1938), ヒンデミットやブリテンの協奏曲から主題を得た《ヒンデミットによる変奏曲》(1963),《ブリテンの主題による即興曲》(1969)などがよく知られている.
 
 声楽曲では, カラヤン(Herbert von Karajan)が絶賛した
オラトリオベルシャザールの饗宴》(1931)や『テ・デウム』(1953),『グローリア』(1961)などの新鮮な響きが耳を引く.
 
 彼の作品群の中では, ハイフェッツ(Jascha Heifetzas)を独奏者として初演された 46
ヴァイオリン協奏曲』(1943)をはじめ,『ヴィオラ協奏曲』(1961),『チェロ協奏曲』(1975)の 3 曲が群を抜いてすばらしい.
 

 
ラター(John Rutter, 1945-  , イギリス)
 私がミッション系の私立学校に勤務していた頃, ラターの 47レクイエム》(1985)を初めて聴き, そのあまりの美しさに衝撃を受けた. 以来, その音楽がもつ高雅で繊細な美の世界に魅了されつづけている. 彼の作品のほとんどは声楽曲であり, 声楽を伴わない作品は, 管弦楽曲・弦楽合奏曲・器楽曲・オルガン曲・ギター曲を含めてわずか十数曲にすぎない. 宗教的色彩を帯びた作品にありがちな通俗的書法に終始するものであるにしても, そこには他の作曲家には見られない独特の魅力が含まれているように思う.
 
 金管群の華やかなファンファーレを伴う『
グローリア』(1974)や『テ・デウム』(1988), 演奏時間に 40 分を要する『マニフィカト』(1990)などは,《レクイエム》に匹敵する彼の代表作と言えよう.
 
 とは言え, ラターの音楽の神髄は, 演奏時間にして数分程度の珠玉の小品群にあるように思う. そこには,《
神よ, わが内に》(God be in my head)(1970),《無上なる愛》(The Perfect Love, 1974),《ゲール祝祷》(A Gaelic Blessing, 1978),《マリアの子守唄》(Mary's Lullaby, 1979), 《世界に眼を向けよ》(Look at the world, 1980),《地上の美しきものへ》(For the Beauty of the Earth, 1980),《すべてのものは美しく輝き》(All things bright and beautiful, 1983),《麗しき楽の音》(What Sweeter Music, 1988),《平和な世界へ》(Go forth into the world in peace, 1988)など, 聴く者を至福のきわみに誘うような麗しいハーモニーがあふれている.
 
 キャロルも数多く存在し, それらは,《
天使のキャロル》(Angel's Carol, 1999)のようなアンダーソン(前述)風のポップなキャロルから,《降誕のキャロル》(Nativity Carol, 1966)や《灯のキャロル》(Candlelight Carol, 1984)のような静かな祈りのキャロルまで, 聴く者の心をたちまちとらえるものである.
 
 あまりの美しさに, 聴くたびに思わずため息が出るものも少なくない. ハープと弦楽合奏を伴う《
主よ, われを平和の僕に》(Lord, Make Me an Instrument of Thy Peace, 1980), クラリネット・ソロの純朴な音色に彩られる《主はわが光, わが救い》(The Lord is my light and my salvation, 1981),《主の祝福とご加護を》(The Lord bless you and keep you, 1981),『伝道の書』における有名句を用いた《すべてのものには時があり》(To everything there is a season, 1997), 《クレア祝祷》(A Clare Benediction, 1998)などなど……. これらの音楽を聴くと, 心底から深く癒され精神のすみずみまで浄化されていく思いがするのである.

 昨年に発表された 48
子供たちのミサ』(2003)は, 先に挙げたラターの代表作に加えるべき大作である. ブリテン(前稿参照)自身の指揮による《戦争レクイエム》の録音に少年合唱団の一員として加わった経験をもつラターは, この曲と同様, 英語とラテン語を混合させたミサをめざしたのであった. 児童合唱がきわめて効果的に用いられ, 特に第 3 曲の「サンクトゥスとベネディクトゥス」や第 5 曲「フィナーレ」の後半部に現れる穏やかで感動的なハーモニーはこの曲の白眉と言えよう.
 

 
日本の現代音楽
矢代秋雄(Yashiro Akio, 1929-1976, 日本)
 巷間では優れた邦人作品が数多く知られている. 私の場合, 作曲技法を学ぶためにそれらを聴いたりスコアを調べたりすることが多く, 作曲技法に感心することはあっても純粋に音楽自体を好んで聴くことは少ない. 前稿では, 邦人作品の名曲として武満徹と吉松隆の作品を挙げた. それ以外の作品から何を名曲として選ぶかとなると, これは難しい選択となる. 彼らに比肩する作曲家としては, 西村朗(Nishimura Akira)や細川俊夫(Hosokawa Toshio)などが挙げられようが, 武満や吉松ほど好んで聴くわけではない.

 それでも, 優れた作品を生み出している畏敬すべき作曲家は数多い. たとえば, 柴田南雄(Shibata Minao), 間宮芳生(Mamiya Michio), 黛敏郎(Mayuzumi Toshirou), 湯浅譲二(Yuasa Jouji), 一柳慧(Ichiyanagi Toshi), 三善晃(前述)等であり, さらには, 理学系の研究を本業としつつも優れた作品を生み出した松下真一(Matsushita Shin'ichi)や松平頼暁(Matsudaira Yoriaki)等である. その中から何を挙げるかについては迷うところであるが, 上記作曲家の作品の中では私との関わりがもっとも長いと思われる矢代秋雄を挙げることにしよう.
 
 彼は生涯を通じて寡作家であった. それは, 彼の作品に対する完全主義による必然的結果である. 若い頃, 書法や形式の基礎を徹底的に仕込まれたその作曲技法は, 一つの作品を執拗に練り上げていくものであった. 彼は, 一旦作曲を始めると外界との交渉をいっさい遮断し, 終日作品のことばかり考える状態を作るという. 旋律は表情豊かで新鮮な節でなければならない. それゆえ, 主題となる旋律を一つ書くと, これを長時間かけて推敲し, しばらく放置した上で再度推敲するという方法をとる. しかし, いかなる手法であれ, 音楽には必ず一つの基音(中心音)が存在する. そこに回帰しなければ音楽にならないし, 構成も考えられない――. これが彼の作曲に対する姿勢であった.
 
 実際, 今日耳にすることができる彼の作品はいずれも大変に緻密で緊張感に富むものが多い. 私と彼の作品との最初の出会いは, 小学 6 年生の頃, 父親が所有していたレコードで聴いた 49
ピアノ協奏曲』(1967)であった.『交響曲』(1958)とともに, 彼の代表作としてまず聴かれるべき音楽であろう. スコア(音楽之友社版)は, 現在ではミニチュア版が入手可能であるが, 当時出版されていたそれは全面が黒の装丁の中に標題が赤で印字された大型版であって, この曲のもつ不気味な雰囲気とあわせて威圧的な印象をもったことをよくおぼえている. 矢代が言う「基音」は, 第 2 楽章において顕著である. 3 小節を 1 単位とする 7 つのド(C音)が, 計 43 回すなわち 129 小節間にわたって執拗に鳴り響くのである.
 

 
平石博一(Hiraishi Hirokazu, 1953-  , 日本)
 管弦楽作品から「名曲」を選ぶという本稿の基準に反することになるのであるが, 最後の「名曲」として電子音楽を挙げることにしたい. 先にアダムスの神秘的な電子音楽《フードゥー・ゼファ》にふれた. 邦人作品では, 西村朗の《エクスタシスへの雅歌》(1981)がもっとも美しい響きをもっているように思う. この種の音楽では, 篠原眞(Shinohara Makoto)をはじめとして, 先に挙げた黛・湯浅・一柳・松下・松平のほか, 石井真木(Ishii Maki), 佐藤聰明(Satou Soumei)や高橋悠治(Takahashi Yuuji)など, 多くの作曲家が独創的な作品を発表している. しかし, ここでは, 平石博一 50回転する時間》(1993)を挙げることにしたい. 上記の作品と比較してこの作品が特に独創的であるというわけではない. その親しみやすさから, 単に私が好んで聴くというだけのことである.
 
 この曲との出逢いも,(ライヒの《管楽器・弦楽器・鍵盤楽器のための変奏曲》と同様)NHK-FM の音楽番組での放送を学生時代に偶然に耳にしたことがきっかけである. 聴き終わるなり作曲者名と曲名をメモすると, 翌日には CD を入手し, 以後繰りかえして聴きこむという惚れこみようであった. 以後, この曲を聴くたびに, その頃(学生時代)の個人的な想い出がさまざまに回顧され, 深い懐かしさをおぼえるのである.
 
 イベントや舞台のための音楽を数多く手がけている彼の場合, その作品に接する機会は多くはない. 現時点においては, 録音, スコアのいずれについても, ふれることのできる作品はごく一部に過ぎない.
 
 弦楽四重奏とトロンボーンのための《
プリズマティク・アイ》(1977), 弦楽四重奏のための《プリズマティク・パルセイション》(1975), 《スクウェア》(1987), ヴァイオリン二重奏のための《ミラー》(1977)などは, 聴く者を飽きさせない強度の緊張感をもっている. "non vibrato" と指定された, 2 度・4 度・5 度の重音と開放弦とを用いた乾いた響きが特徴である. また,《九十九折 第 1 番》(1975)のような不確定音楽や《時は時の向こうにある》(1994)のような吹奏楽作品も存在する.
 

 
おわりに
 以上, 私の個人的嗜好に基く「名曲」を管弦楽曲を中心に紹介した. しかし, 数年後に同様の試みをなせば嗜好も変わり, 新たな「名曲」も加わって本稿とは異なる 50 曲が選出されるはずである. したがって, 今回の「名曲」は, 私自身の内にあってさえ, 普遍性をもつとは限らない. とは言え, その時々における種々の嗜好の変化にもかかわらず, なお名曲として選ばれ生き残りつづける作品が必ず存在するはずである. そういった作品群の総体が, 真の「名曲」として後世に受けつがれていくのであろう. ……という前稿のあとがきを本稿にもそのまま付加したところで, 筆を擱くことにしたい.
 

 
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